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ブログ「弘憲寺・心の講話」

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こころのはなし(第170回)2010/12/15

12月も半ばになりました。檀家にお伺いして「今年も残り少なくなりました」。と言うのが挨拶になっています。「本当に一年経つのが早いですね」と続きます。歳をとるほど一年が早く感じられるのはなぜでしょうか。
 
 時は私たちの生活とは関係なく移ろい行くものです。時が人間にあわせているわけではありません。人間が時にあわせて生活しているだけです。すべての形あるものは時の移ろいの中で消滅変化を繰り返しています。いま建ったばかりのビルの完成式があります。いま建ったばかりですから新しい、しかし、建った時からすでに生滅変化が始まっています。極端にいうと建てたときからにすでに崩壊が始まっています。これを仏教では諸行は無常だといいます。これは真理です。真理とは永久不変に変わらないということです。

この諸行無常の旋転万化し消滅変化している世界で、ただ一つ変わらないものは真理そのものです。
 その真理を説かれたのが釈尊です。また諸仏です。ここで諸仏というのは真理を覚られ方々を指します。ですから諸仏というのは真理を覚られた多くの仏ということです.真理を覚られた釈尊、諸仏の説かれた宇宙の真理を仏法といいます。さらに諸行無常のあとに
 この「諸行は無常なり、是れ生滅の法なり、生滅し滅(め)しおわって、寂滅(じゃくめつ)をもって楽となす」。と続きます。
この難しい偈文を訳された方がいらっしゃいます。真言宗を開かれた弘法大師です。

     色は匂えど散りぬるを
          我が世誰ぞ常ならむ
     有為の奥山今日越えて
          浅き夢見じ酔(ゑ)いもせず
弘法大師さまが訳されてもまだまだ難しいですね。どのようなことを言われているのでしょうか。
 このいろは歌を解釈しますと、次のようになります。
「形あるものは変化し、いつかは消えていきます。この世の中には永遠なものは一つもありません。しかし、有為、つまり迷いから覚めて覚りが開けますと、もう迷うことも悩むこともなくなります」。と説かれています。
この中の迷いから覚めてというのは、この世に永遠に変わらないものはひとつもないと言うことは、常に生滅変化を繰り返していますので、形あるものすべてが本当の姿(実相)を持ち合わせていません。例えば私の身体もそうです。オギャーと生まれて今日まで、細胞が生まれかわり、死に変わりして変化しています。いったい私の身体はどの部分が本当の自分なのでしょうか。その常に変化しているこの身体を愛しいと思い、常に執着(とらわれ)しているのです。
これを迷いと言います。その執着(とらわれ)が無かったら、もう迷うことも無く、悩むこともありません。と言うのです。
般若心経に心に?礙(けげ)なし、?礙(けげ)無きがゆえに恐怖(くふう)あることなし。「こころにとらわれが無かったならば悩み苦しむということが無くなりますよ」と説いています。
今年もあとわずかです。あまりものごとに執らわれずにこころ豊かにお正月を迎えようではありませんか。
 

 

 

       
     

こころのはなし(第169回)2010/12/01

今日は法句経の133番にある釈尊のお言葉です。
粗(そあら)なる ことばをはなすなかれ 言われたるもの
また なんじのかえらん
いかりよりい出ずる言葉は げに苦しみなり
返杖(しかえし)かならず 汝の身にいたらん
最初にこの偈文に出てくる言葉、粗(そあら)なることばをはなすなかれの粗(そあら)なるとは荒々しいという意味があります。暴言、礼を失した乱暴な言葉をいいます。暴言は言葉により暴力です。口は禍の元といいますが、一言で相手が傷ついたり、友情がこわれたり、夫婦が別れてしまう原因ともなります。とくに悪意のこめられたことばほど怖いものはありません。
釈尊はけっして暴言を吐いてはいけないと誡めています。その吐いた暴言は必ず自分に返ってくる
といわれています。それはあたかも風上にいる者に向って砂を投げると同じで、かならず自分に降りかかってきます。
こんな詩があります。
 ひとつのことばでけんかして
ひとつのことばで仲直り
ひとつのことばでおじぎして
一つのことばで泣かされた
ひとつのこころをもっている
 
 釈尊の教えの中に無財の七施があります。七つの施しがなぜ無財、財産が無くても今すぐにできる施しです。この無財の七施の中にも思いやりの言葉をかけていこうという施しが説かれています。
1、 満ち足り悦びのある顔を人にほどこす。
2、 やさしい眼を人さまに向けていこう。
3、 思いやりのあることばをかけていこう。
4、 他人に礼儀を持ってせよ。
5、 慈悲の心で人に接していこう。
6、 ゆずり合いのこころをもとう。
7、 心のこもったもてなしをしよう。

良い言葉をかけあうことも、暴言を吐くのもみな心のありようから出発しています。仏さまはこの世の中すべて心のはたらきによるのですよと説かれました。これを「三界唯心(さんがいゆいしん)」と言います。
小学校1年生の詩があります。

よい家族
おとうさんとおかあさんがけんかをした
さいしょおかあさんがあやまった
するとおとうさんもあやまった
いいおやたちでよかった
それをいったらおかあさんが泣きだした

素晴らしい詩です。おかあさんがあやまり、おとうさんがあやまった。誰でもできることではありません。お父さんもお母さんも喧嘩をすることの愚かさに気づいたのでしょう。これが心の世界です。

地獄の世界はことばの通じない世界
人間の世界は言葉のいる世界
仏の世界はことばのいらない世界

この三つのことばを良く思慮してください。


 

       
     

こころのはなし(第168回)2010/11/07

11月は多忙な月で、11月15日のホームページ心の講話を繰り上げさせていただき掲載いたします。
 11月に入り2日は高野山に登り会議に出席、3日は祝日で檀家さんの法事が続き、7日は定例の座禅会です。これが終わり8日から18日までは富山県下の高野山真言宗寺院を巡り、高野山管長様のお言葉を伝え、そのあとお集まり頂いた檀信徒の方に
法話をさせていただきます。次々と日程が組まれていますので、休むことができません。この様な訳で15日の心の講話は前倒しで掲載させていただきます。

 さて、先月22日から一泊二日で神奈川県藤沢市辻堂駅に集合して小型21人乗りのサロンバスで福島県中津川渓谷、裏磐梯、猪苗代湖を廻ってまいりました。17人の参加で、男子11人女子6人です。この旅行は昭和32年の藤沢市立明治中学の同窓会で、毎年企画を立てて一泊二日の旅行を行なっています。因みに昨年は伊豆方面、一昨年は奥飛騨を観光いたしました。私は年に一度のこの同窓会を心待ちにしていて、なによりも最優先でなにをさて置き日程をやりくりして参加することにしています。
なぜ同窓会に参加するのが楽しいのか、考えてみました。

私は仏門に入ってからこの方、僧侶という一つの形に執われて来たと思います。衣を着けたら僧侶としての立ち振る舞い、行動を意識してきました。このことは決して悪いことではなく、自分自身のこころをコントロール(制御)するためには大切ですし、僧侶という規範の中に生きていくということも大切です。しかし、自分のそうした殻を打破して、自分自身を解放したいという意識が心のどこかにあるのは否定できません。
「菜根譚」にこのような言葉があります。「礼服に威儀を正した高官たちも、粗末な蓑や笠をみにつけてのんびり働いている人々をみれば、うらやましく思うかもしれない」とあります。誰でもが抱く願望は自分の立場や環境から一度離れてみたいと思たことはありませんか?私が同窓会に執着するのは、友といる時間のなかで、今の僧侶という立場、環境から離れ、二日間という短い時間ではありますが、自分の昔に返えることができるからだと思っています。


 

       
     

こころのはなし(第167回)2010/11/01

今月は弘法大師と山岳修行についてお話してみたいと思います。
 弘法大師が24歳の時にお書きになった三教指帰に次のような文章があります。
 
ここに一人の修行僧がいて、私に「虚空蔵求聞持法」を教えてくれた。この経典によれば、もし人が、この経典に教えるとおりに虚空蔵菩薩の真言を百万回となえたならば、ただちにすべての経典の文句を暗記し、意味内容を理解することができる。そこでこの仏の言葉を信じて、たゆまない修行精進の結果を期し、阿波の大龍嶽によじ登り、土佐の国の室戸崎で一心不乱に修行した。谷はこだまを返し(修行の成果があらわれ)虚空蔵の化身(けしん)である明星が姿を現した。こうして私は世俗の栄華を一念一念に厭(いと)うようになり、山林にたちこめる靄(もや)を朝夕に慕うようになった。

と述べられています。弘法大師は19歳にして大学を去り、私度僧(しどそう)となりました。当時正式な僧尼となるには、得度や受戒を受けなければなりません。正式な僧尼となると課役を免除されて、仏事に専念させたのが官僧といわれ律令国家が掌握していました。
これに対して官許を得ない要するに国の許可を得ないで自分の意思で僧尼となるものを私度僧と呼んでいました。こうした私度僧の山岳修行の仲間に入り、吉野山、紀州の山々で、また葛城山系、特に金剛山や湯湧山、槙尾山、南葛城山などを跋渉し、山岳修行に励まれたと思います。さらに四国石鎚山まで足を伸ばし、懸命に修行されました。この時が弘法大師にとってはもっとも厳しい難行苦行を体験されたのではないでしょうか。

三教指帰に「あるときかなたけ金嶽(吉野きん金ぷせんじ峯山寺)の山中にのぼって雪にあって困り果て、あるいは伊予の石鎚山(いしずちさん)に登って断食して苦労した」と述べられていますから、その山岳修行の厳しさが伝わってきます。
山岳修行者「役(えん)の行者」の流れ
平安の頃に奈良の薬師寺にいた景戒という僧侶が、説話を集めて編集した「日本霊異記」に吉野山系、葛城山系を中心とした役(えん)の行者、{役の小角(えんのおずか)}のことを書いています。
それによると、「役の優婆塞(うばそく)とよばれた在俗の僧は、(中略)大和国葛城上郡茅原の人である。生まれつき賢く、博学の面では近郷の第一人者であった。仏法を心から信じ、もっぱら修行につとめていた」とあります。優婆塞とは私度僧と同じで、正式に出家していない在家の修行者で、この役の行者は山岳修行の先駆者的な存在です。
 この役の行者の山岳修行の集団が脈々と続き、その集団に弘法大師も加わったのではないかと推測されます。その大師に虚空蔵求聞持法をさずけた勤操大徳も山岳修行集団の指導的役割を担っていたと思われます。
 この山岳修行で培われた強靭な肉体と、不屈な精神力が困難を乗り越え入唐され、ついには密教の奥儀を極められた原動力になるのです。


 

       
     

こころのはなし(第166回)2010/10/15

今月の13日14日の両日、愛媛県道後温泉のホテルで四国地区の高野山真言宗青年僧侶80人近くが集まり、布教についての研修会が行なわれました。
 私は講師として呼ばれ、布教の原理についての講義を受け待ちました。この布教とiうセクションは説教だけにとどまらず、文章伝道といって、お寺が発行する新聞とか、葉書による伝道もあります。また写経や写仏、テレホン法話、視聴覚布教といってメディア媒体による布教、例えばホームページによる布教などがそうです。
布教とは、教えを広めることです。その教えを広めるのに色々な方法があります。その一端が上述した通りです。
 私の専門分野は説教です。説教とは言葉によって教えを説き人々に伝え、信仰心を呼び起こさせることにあります。その説教の歴史は古く、すでに千数百年前に説教が始まっていました。
落語で言う高座や講師などの言葉は仏教の説教から出た言葉です。(注)また落語の始まりは寛永年間頃の安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)であるといわれ、策伝は大本山誓願寺の住職となった浄土宗の高僧で、茶道や椿の蒐集で名高く、当時の名士と広く交際した文化人であったといわれています。
 策伝は醒睡笑(せいすいしょう)を著わしています。この本は布教の必要から説教の話材として永年にわたって書きとめた民間の伝承説話や僧門での見聞きした話、多種多様な話を42項目に分類編集したもので、後世の噺本(はなしぼん)や落語に影響を与えたといわれ、安楽策伝は落語の創始者と言われています。
昔は今の時代と違って情報伝達や娯楽が無かった時代唯一の娯楽は歌舞伎、浄瑠璃、芝居、浪曲などで、これらの芸能を取り入れ、巧みに仏の教えを説いていきました。
しかし、近世に入り芸能を取り入れた説教ではいけないという批判が出て、仏の教えに基づいたお話に重点が置かれるようになり、現在まで続いています。しかし、先人たちが伝承してきた噺の基本は今でも重要な要素となり、布教するものに受け継がれています。
今回の道後で行なわれた青年教師布教研修会では、布教師を志す者が、四国四県から集まり、布教の理論の講義を受け、また受講生が自ら書き上げた説教の原稿をもとに演壇で実演し、高野山布教師をめざします。青年教師の情熱と下向きに努力する姿に感動した二日間でした。

(注) 参考資料
     関山和夫著 説教と話芸  

 

       
     

こころのはなし(第165回)2010/10/02

弘憲寺枯山水の池の周りに、9月のはじめ頃からの野カンゾウの花が咲き始めました。私は野カンゾウが咲き始めると夏の終わりを知り、秋が間近いことを知ります。こののカンゾウの花はオレンジ色で1日花です。
万葉集のなかにはユリ科の植物がたいへん多いことに気づきます。カタカゴ、ククミラ、ヒル、ヤマスゲ、ワスレグサ、ヒメユリ、ユリ、などいずれもユリ科です。
ワスレグサは、一般にカンゾウと呼ばれているもので、弘憲寺の庭園に咲くのも同じ野カンゾウです。ユリの花に似た黄赤色の花をつけます。
犬養孝さんの万葉12ヶ月新潮文庫に「吉野山の谷を見下ろす裏道などには点点と咲いている。」と書いています。
 
万葉集の巻三 334に
   
わすれ草 わがひも紐につく 香具山の
 ふるにし里を 忘れむがため

と在ります。この花を身に付けていると憂いを忘れるという中国伝来のいわれがあって、万葉びとに着目された花だ。神亀の末から天平のはじめにかけて、だざいのそち太宰帥として筑紫に赴任していたおおともの大伴たびと旅人は、望郷の思いやみがたく、ワスレグサを身に付けて、なつかしい大和香具山の懐想のせつなさを忘れようとの想いを訴えている。
ところが、旅人の子のおおともの大伴やかもち家持はさかのうえの坂上大おおいらつめ嬢に贈った恋の歌に、
わすれぐさ わが下紐につけたれど
 しこ醜のしこぐさ醜草 こと言にしありけり 
とうたって、効能書き通りにいかなかったワスレグサを、「しこ醜のしこぐさ醜草」とののしった形で恋の想いを訴えている。川べりにも、背戸の裏にも、どこでも咲くカボチャ色の、あまり気品のない、ひなびた花は、 しこ醜のしこぐさ醜草としたしまれてもよさそうな花である。
慌しく忙しい近代は、「わすれなぐさ」こそ必要だろうが、わすれぐさに心をよせた万葉のひとびとの心の姿勢を、あのさりげない黄赤色の野の花とかさねあわせて、忘れることができない。

と犬養 孝さんは述べています。
大伴旅人がうたっているカンゾウは野カンゾウではなくヤブカンゾウかもしれません。ヤブカンゾウは6月、7月、に咲きます。
弘憲寺の野カンゾウは8月の終わりから9月に咲きます。
ヤブカンゾウは別名忘草ともいい、ぼうゆうそう忘憂草、憂いを忘れると書きます。野カンゾウは本州、四国、九州の陽光に生える多年草で、昼咲きで一日でしぼみます。この一日でしぼむ花の哀れさを見て、万葉の人は自身の憂いをそのはかな儚さに託したのかもしれません。
いまの日本人にはまんようびと万葉人のような花に思いを託すような感性を持ち合わせていません。ものの哀れを感じることのできる本来の日本人のこころを大切にしたいと思います。


       
     

こころのはなし(第164回)2010/09/15

9月に入ってもまだまだ暑い日が続きます。どうやら14日の晩から涼しい風に変わってき来ました。四国高松は何十日ぶりに30度を割り、ここちよい一日となりました。
 私は13日、14日の両日に山口県の美祢(みね)市に在る美祢社会復帰促進センターの施設見学に行ってまいりました。これは高野山真言宗教誨師会が主催して実施したものです。教誨師とは社会の秩序を乱し、法を犯した者の社会の秩序を乱し、法を犯した者の改善更生をはかるために、在監あるいは在院の被収容者にたいして行なう精神的・倫理的・宗教的な教化活動をボランティアで行なう宗教家を指します。
 この教誨師会は仏教系・キリスト教系・神道系などのそれぞれ異なった教宗派から現在1,800人ほどの教誨師の方々が活動されています。その中で高野山真言宗に所属している教誨師さんが50名余が活動し、独自に高野山真言宗教誨師会を組織し、弘法大師さまの教えを信条とし研鑽を積んだり、親睦を深めたりしながら活動しています。
 今回の美祢社会復帰促進センターの施設見学はその活動の一環として実施いたしました。
このセンターは2007年4月に日本で始めてのPFI手法による官民協働の刑務所です。PF Iとは、公共施設などの建設、維持管理、運営などを民間の資金やノウハウを活用して行なう手法のことです。特に業務範囲を施設の警備、収容監視、職業訓練や健康診断なども民間委託で行なっています。ですから今までになかった刑務所の新しい姿がここにあります。
このセンターの収容の対象は、犯罪傾向が進んでおらず、はじめて自由刑の執行を受ける(初犯)者のうち、心身などに著しい障害がなく、集団生活に順応できる者としています。
 このセンターはコンクリート塀や鉄格子がない刑事施設です。
センターに入るときに外観を見ましても刑務所というイメージがまったく無く、大きな病院かと思わせるほどスマートな刑務所です。いままでの刑務所のイメージは高い壁に鉄格子、一般の人たちがうかがい知れない場所という思いを抱いている人が多いと思いますが、安全、保安を基本として、被収容者に職業訓練を指導し、出所後に社会復帰ができるように「人材の再生」をおこない、地域との共生を図りながら運営する美祢社会復帰促進センターのような刑事施設がこれからの刑務所の方向性を示す施設だと実感いたしました。


       
     

こころのはなし(第163回)2010/08/13

8月はお盆の月です。また夏祭りの月でもあります。四国の代表的な祭りはなんと言っても高知のよさこい祭、徳島の阿波踊り、です。このごろ高知のよさこい祭の意匠は全国的に波及し、踊り手は連によって違いますが、昔ながらの浴衣ではなく、奇抜な意匠を身に付けて躍動的なリズムで踊ります。
 徳島の阿波踊りは基本的には浴衣に鳥追い帽子をかぶり踊るのを基本としているようです。いずれにしてもよさこい踊りも、阿波踊りも元は盆踊りです。
 この盆踊りの起源は古く、今から2,500年前のお釈迦さまの時代までさかのぼります。
 お釈迦さまの弟子に10人の優秀なお弟子がおり、その一人に目連尊者という神通第一といわれる方がいました。目連尊者はマウドガリヤーヤーナといい漢訳しますと目?連(もっけんれん)といいます。私たちは親しみを込めて目連尊者といっています。
目連尊者はやはり十大弟子のひとりで、学徳にすぐれ、お釈迦さまにかわって説法することもあった舎利弗(しゃりほつ)の親友です。
では目連尊者の神通力とはどのようなものだったかと言うと、
 すべての世を見通す能力を持っていました。ある時、今は亡きお母さんはどこに居るだろうかと神通力をもって色々な世界を見通し、お母さんの所在を探しました。しかし、きっと極楽の世界に生まれかわっているだろうと確信をしていた母親は極楽の世界にはいませんでした。まさかと思い地獄の世界を照らし見ると、なんと目連尊者の母は地獄の世界に落ちて苦しんでいるではありませんか。その母の姿は餓鬼の姿で、お腹を空かせ目だけはらんらんと輝き、お腹が膨れ、もがき苦しんでいます。なとか母を救わなければいけないと考え、器の盛った食べ物を母親の元に届けました。母はその器を両手の持って貪るようにして食べようとすると、その食べ物はすべて炎になって燃えてしまいます。
 なぜ私を生み育ててくださったお母さんが地獄に落ちたのだろうか。それは母親が生きている時に貪欲にまみれた生活をしていた結果なのです。貪欲とは自害意識が強く自己中心的で、むさぼりの心大きく人に分け与えることがない、その結果として地獄に落ちてしまったのです。
 流石の目連尊者は救う手立てがありませんので、釈尊に相談をいたしました。すると釈尊は静かにこのように申されました。
 印度の雨期は5月、6月、7月の3ヶ月間続きます。その雨期の時に印度各地を布教し、修行している僧侶がこの祇園精舎に帰り、静かに修行します。雨期の期間はあらゆる命が成長するときです。そのような時に修行に出ている僧侶が生きもののいのちを誤って損なうこともあるかもしれない。それを防ぐ為にこの雨期の3ヶ月間祇園精舎で静かに修行します。その修行の最後の日が7月15日です。この日は修行が充分に出来たか否か反省する日です。この日に多くの修行者のために食べ物とか、衣とか修行僧が必要とするものを布施しなさい。布施行をすれば必ずこの布施の功徳によって目連尊者の母は救われ極楽の世界に生まれかわるであろうと説かれました。その結果、布施の功徳によって目連尊者の母は極楽の世界に生まれかわったという。その結果固唾を呑んで見守っていた多くの修行者が喜びのあまり小躍りして踊ったことが盆踊りの起源とされています。ところがこの教えはもっと大切なことを教えてくださっています。
 このお話は私たちの貪欲の心を誡めている教えです。貪欲とは自己中心主義で俺が、私がという欲望の世界です。この貪欲の心を抑制するために他に施すという行為を実践させるのです。
施しとは二つの言葉から出来ています。ほどこすの「ほど」とは自分の財布の紐をほどく、ほどいた財布から金銭などを自分を越して相手に与えることを意味します。ようするに布施とは自分の欲望から開放する行為なのです。ですからお盆は今は亡き人に色々なお供えを致しますが、お供えをするという行為が布施なのです。お盆は亡き人を供養する日ですが、もっと大切なのはお盆という行事を通して自らの貪欲の心をコントロール(制御)する日でもあるのです。

       
     

こころのはなし(第162回)2010/08/01

このごろ頓に心の講話を書くのが億劫になり、時々飛ばすようになりました。アクセスしてくださるのに申し訳がないと思うのですが、如何せん気力が萎えてしまい失礼しています。
 先月行なわれたサッカーワールドカップのニュースを見ていますとサッカー競技場に何万というサポーターが熱狂しています。そのエネルギーはすごいですね。私はその応援の光景を見て、よくあのようにひとつのことに熱中できるのだろうかとよく思うことがあります。よく考えてみると私は野球にしても、サッカーにしても自分を忘れるほど熱中することはありません。
 これが歳を取った証拠かもすれません。一言でいうと、感動することがなくなったということです。歳を経るごとに喜びや悲しみに無反応になっている自分がいるのです。感動が少なくなると少しずつ顔の筋肉が動かなくなり、無表情な顔になっていきます。
高齢者が笑わないのはそのためかもしれません。自分はその域に入ってきたことを最近自覚しています。ですから逆に感動することは素晴らしいことだと思うのです。
私には現在5人の孫がいます。上は小学校一年生から一番下は一年と数ヶ月の子です。この孫たちは好奇心のかたまりです。よく笑い、よく兄弟げんかをしますし、兄弟げんかが始まったと思ったらいつの間にか仲良く遊んでいます。自分の興味あるものには熱中する。その顔の表情の豊かさは大人には決して真似の出来るものではありません。
無心になるとは何も考えないということではありません。当に執らわれのないこころです。逆に一つのことに熱中して外の事に気をとられないことも無心になるということかもしれません。
無心の境地について、荘子は「すべての迷いを去って、心を純一(まじりけのない)に保つがよい。耳で聞くより心で聞く、いや、心で聞くより気で聴くがよい。気で聴くとは、あらゆる事象(ことの成り行き)をあるがままに受け入れることだ」といわれています。
サッカーを観戦したらすべての迷いを去って、それに没頭する。
勝っても負けてもことの成り行きにまかせて、ありのままを受け入れる。素直なこころになりきることが大切で、歳を経るごとにこの素直な心が失われていくのではないかと思います。
素直な心がないからサッカーのワールドカップで日本が勝っても素直に喜ぶことが出来ないのではないかと思います。このところ反省することばかりです。

       
     

こころのはなし(第161回)2010/07/01

いま日本相撲協会は野球賭博問題で連日大揺れです。日本の国技といわれる大相撲が、名古屋場所の開催が危惧される前代未聞のスキャンダルに揺れています。
 このごろ相撲界は次々と色々な問題が噴出しています。時津風部屋の力士暴行事件、大相撲の元序の口であった斉藤 俊さん(当時17歳)が2007年6月26日、朝稽古中に急死し兄弟子がビール瓶や金属バットで殴打するなど、「集団リンチ」ともとれる惨事が発覚し社会問題となったことは記憶に新しいところです。また以前から大相撲八百長疑惑がくすぶっていますし、2009年には若麒麟が大麻所持で逮捕され、若ノ鵬、露鵬、白露鵬と解雇処分になった事件。また朝青龍が今年1月に酒に酔って知人男性に暴行したとされる問題など、品位と秩序を重んじる相撲界にあって一体どうしたことでしょう。
 殊に今回の野球賭博問題は反社会的な行為として赦されるものではありません。6月28日付の産経新聞に、野球賭博の「胴元」は暴力団のケースが大半で、事情に詳しい元暴力団関係者が産経新聞の取材に応じ、プロ野球の試合が「一晩で数千万円が動くばくち」に一変するというとあります。その掛け金の一部が暴力団の資金になっていることを重く受けとめなければなりません。
 四十二章経という仏典があります。その中に次のように説かれています。
 「仏言(のたま)わく、財・色の人に於(お)けるや、譬(たと)えば小児の刀を貪(むさぼ)りて刃(やいば)の蜜を甜(な)めんに、一食の美(あま)さに足らずして、しかも舌を截(き)るの患(うれ)い有るがごとし。」
これを解釈しますと「利益や色欲を求め、うつつを抜かしていると、あたかも子どもが刃についている甘い蜜をなめているうちに、いつしかその刀で舌が切られてしまう。このように身の程知らずで過度に求めるとわが身を滅ぼしてしまうことを警告しています。世の中には一時の欲や錯覚にとらわれて大損する人が多い。
当にこの相撲界の野球賭博事件を教訓として賭け事に手を出さないことが大切です。

       
     

こころのはなし(第160回)2010/06/15

舎利弗と目連という修行者がいました。ある時舎利弗と目連は王舎城の街角にいると、舎利弗とは般若心経にでてくる舎利子のことです。一人の托鉢僧がやってきました。端正な姿で静かに歩くさまに心を打たれたので呼び止めて、名前を聞きました。その修行者はアッサジと答えました。その態度は落ち着いていてあまりにも立派なので「あなたは誰を師と仰がれているのですか」と訪ねました。私はブッタに仕えるものですが、最近仏教に入ったばかりでまだよく教えを学んでいないのです。ただブッタから次のことを聞いています。といって次の詩を唱えました。
この詩が今月のことばです。
「釈尊は因縁の法をお説きになります。諸法は因縁によって生じ、因縁によって滅します。我あることなし」とおっしゃっています。これが釈尊の教えです。
仏典から見ると、「諸々の法は原因より生起する。如来はその原因を説きたもう。もろもろの法の消滅も{説きたもう}偉大なる修行者は、このように説く者である。」
舎利弗と目連はこの詩を聞いて、竹林精舎に滞在している
ブッダのところにやってきてやがて弟子となったのです。
 諸法とは、この世に存在するすべてのもののことで、それは因縁によって生まれ、因縁によって滅するということです。
結果には必ず原因があります。原因があって結果ができるということです。たとえばここに籾があります。それを田圃にまけばお米が出来ます。しかし、そのためには水と太陽と熱と光と、そして肥料がなければなりません。さらに人間の力が加わっておそ、籾が芽を出し、やがて実を結び、お米が出来ます。籾だけでお米が出来るわけではありません。つまり、すべてのものは因縁によってできるということです。われわれ人間もまた、お父さんとお母さんとの因縁によって生命を宿し、母親の体から色々な栄養分を吸収して成長してきたのです。そしてこの世に生まれてからも、空気を吸い、水を飲み、食事を頂き着物を着せていただいています。その着物一つにしても、大勢の人が苦労してつくってくださったものなのです。社会のあらゆる力が加わって、私たちはこうして生きているのです。お母さんのお腹に宿った生命が、周囲の力によって生きている。その我というものはない。あるものは人間そのものだけ、それを
諸法は因縁によって生じ、因縁によって滅す。われあることなし。」と釈尊は教えられています。

       
     

こころのはなし(第159回)2010/05/15

古の奈良はいま平安遷都1300年、古都は多くの人が訪れ賑わいを見せていることでしょう。奈良遷都1,300年祭のホームページを見ますと、大遣唐使展がおこなわれています。当時日本の国は唐の国の文化、制度を輸入し、国づくりを進めていました。そのためには遣唐使船を派遣して建築、絵画、文物、仏教経典などあらゆるものを伝えました。
 しかし、当時の遣唐使船は造船技術や航海術もお粗末でし、海図すらなかったと思います。運を天に任せ幸運ならば唐土に到着するというものであったようです。
 遣唐使の前は遣隋使が推古天皇8年(600)から同22年にかけて前後6回にわたって日本から隋に派遣された公式の使節です。
遣唐使は7世紀後半から9世紀にかけて、日本から唐に派遣された公式の使節です。欽明天皇2年(630)8月に犬上御田鍬らを派遣したのを最初に寛平6年(894)に菅原道真の建議によって停止されるまで、およそ20回の任命があり、うち16回が実際に渡海しています。使節が渡航に用いる船数は、当初は2隻、のち奈良時代になって4隻編成が基本となります。船数の増加にともない員数も240人から250人さらに500人以上になり、最後の使節となった承和元年(834)任命の使では651人という人数になったようです。
円仁の「入唐求法巡礼行記」によると、米をむして乾かした携帯・保存用の食料と生水のみで飢えをしのぎながら暴風・高波をのりこえなければならず、航行中重病にかかれば独り異国に置き去りにされることもあったといいます。また造船技術・航海術が未熟であったため、難破・漂流することも珍しくなかったといわれます。
まさに命がけの航海であったようです。井上靖の「天平の甍」を読むとその艱難苦難が伝わってきます。
日本に戒律を伝えるために失明の苦難にもめげず、日本にたどり着いた唐の僧鑑真和尚は「たとえ限りなく広いおおうなばらが隔てようと、いのちを惜しむことはない」と述べられています。
そして密教の教えを唐に求めた弘法大師空海和尚は「広い中国の海にように広大な仏教を訪ね究めて、東の辺境である日本の旱(ひでり)のような法の渇きを癒したいと思っている。こうして私は、とうとう一命を大海に棄てる覚悟で真実の教えを求める旅に出た」と強い求道の意思を表されています。
空海和尚は遣唐使船に乗船し、長崎県田浦港から出航、2日目にして暴風の襲来を受け、漂流すること34日、九死に一生を得て赤岸鎮に漂着。それから2400キロを旅して唐の都長安に到着し、密教の師を求め、ここに青龍寺の真言第7祖恵果阿闍梨に出会うのです。
恵果阿闍梨は温顔を湛え、空海和尚を一目見るなり「わたしはあなたに出会うことをどれだけ待ちわびたことか」と法を伝えるにふさわしい者と直感し、直に密教の奥儀を余すところなく伝えられたのです。
空海和尚に法を伝えた後に恵果阿闍梨は病に伏し、空海和尚を呼び「わたしがこの国であなたに伝えることは何もない。早く本国に帰り、この教えを国家に奉り、天下に広めて人々の幸いを増すようにせよ。そうすれば国中平和で万人の生きる喜びも深くなるであろう」この恵果阿闍梨のお言葉こそが、空海和尚のゆるぎない心の支えとなり、高野山開創という現実的な行動となるのです。
来る平成27年は空海和尚が高野山を開かれてちょうど1,200年になります。これを記念して世界平和のため、人々の幸せが末永く続きますように、50日間の祈りをささげる大法会を営みます。ぜひ千載一遇の好機に高野山にご登山いただき、お大師さまに報恩謝徳の祈りをささげていただきますようお勧めを致します。

       
     

こころのはなし(第158回)2010/05/01

 今年の冬は天候不順な日が続きました。4月に入ってからも寒暖の差が激しく体調を整えるのに気を使いました。そのような時に一通の案内状を頂戴しました。
封筒の裏の差出人を見ると、内閣総理大臣 鳩山由紀夫となっていて、住所は千代田区永田町となっています。早速封筒を開いてみると、案内状に次のように書かれています。
拝啓 春暖の候いよいよご健勝の御事とお慶び申し上げます。さて 左記の通り「桜を見る会」を催す事と致しました。
ご夫妻おそろいにて御来観くださいますようご案内申し上げます。

日時 四月十七日(土)午前八時半から同十時半まで
となっています。
私はあまり行く気がすすまなかったのですが、ご同伴でとありますので、家内に「総理大臣から桜を見る会の案内状を頂いたのだけど、一緒に行きますか?」と誘ってみますと、二つ返事で「行きます」という。それから出席する前日まで、「着ていくものは何にしようか、着物がいいか、平服で行こうか」迷いまわっています。このへんが男性と違う所で、先ず着ていく衣装は、履いて行く靴はどれにしようか、出発する二日前まで悩んでいました。
ついに家内は桜を見る会に招待されたことのある友人に電話をして、色々とアドバイスを受けていました。
 友人は着物より平服のほうがいいですよと助言を頂いて、やっとのこと着ていく服が決まったようです。
 17日の朝八時半からですので、16日から新宿まで行ってホテルに宿泊し、17日の朝起きるなり窓を開けて外を見ると、何と雪が降っているではありませんか、びっくりしました。
朝食を済ませて地下鉄丸の内線新宿御苑前で下車し、大木戸門に向かい、受付を通って公園内に入ると八重紅枝垂れ桜が満開です。暫くすると鳩山総理がこられて中央台でご挨拶をされ、挨拶が終わると招待者に声をかけ握手をしてまわります。本当に総理大臣の職務は大変だなと思います。この頃難題が山積し、特に鳩山首相は支持率も下がり、心の休まる暇がないのではないかと思われますが、人生の書といわれる菜根譚に「草木が枯れだすころ、根本にはすでに新しい芽生えが始まっている。凍てつく寒さが来れば、陽気の訪れも遠くない。」という言葉があります。
4月17日に降った春雪は46年ぶりとのこと、この寒さが陽気の訪れとして鳩山さんの良き方向に向かう前触れであって欲しいものです。
 

 

       
     

こころのはなし(第157回)2010/04/01

 3月29日に息子の住職と共に、早朝3時に起床して車で和歌山県高野山に向け出発いたしました。高松中央インターから高速道に乗り、徳島県の鳴門、淡路島を通り、神戸、大阪難波を経て和歌山県に入り、弘法大師様のお母様おられた慈尊院のある九度山を経て、いよいよそこから曲がりくねった山道を登り始めました。途中花坂というところにまいりますと、ちらほらと雪が舞ってまいりました。高野山山上に登るとすでに一面真っ白です。約300キロを走り朝7時半に弘法大師さまがおいでになる奥の院に着きました。奥の院は老杉にかこまれ、清浄な霊気が漂い、薄っすらと雪化粧をした奥の院はそれは何ともいえない幽玄のせかいです。お大師さまがおわしますご廟前に参拝し、平安をお祈りいたしました。
 その晩は大師教会に泊めて頂き、翌早朝、大講堂で勤行に参加いたしました。身を切るような寒さの中でしたが心静かに祈りをささげることができました。
 高松の自房におりますと、日常の雑務に追われ、ついつい自分を見失いがちですが、高野山の澄み切った霊気の中で、心静かに祈りをささげる大切さを感じました。勤行では青年僧の若々しい声明(しょうみょう)の声が流れ、その声が寒気の中に流れ一緒に唱和していると、自身が大宇宙と融合しているかのような思いになってきます。
 真言宗には阿字観という座禅観法があります。密教のことばで瑜伽(ゆが)。瑜伽とはサンスクリット語のヨーガ(yoga)の音訳で、もともとyuj(ユュジ)「結びつける」という動詞からきた言葉です。結合という意味があります。これはもともと「くびきに馬を結びつける」という意味をもち、二つのものを一つにすることをいいます。馬をくびきに結びつけ、勝手な行動をさせないようにするという意味から、人間の精神活動を一定のところで固定し、結びつけて不動とする、動かないようにする意味に用いられるようになりました。
私たちの心は欲望のために、あれが欲しい、こうありたい。あのようになりたいといろいろな欲望が起こり、それが苦しみの原因となっています。このような心を意志の力でしっかりと繋ぎ止める心理作用が瑜伽(ヨーガ)の意味です。 以上のことから次に発展していきます。
(1) 自分と宇宙とを結ぶ。自身のこころと宇宙のこころとを融合させる。
(2) 心の活動と体の活動を結びつける。
(3) 散乱しているこころを一つにする。
この外に制御、結合、バランス、集中という意味を持っています。
このように密教で行なう修行の一つに瑜伽修行、これを行う修行者を瑜伽行者といいます。この瑜伽を阿字観法といいます。
弘法大師さまが高野山をお開きになられた一つの理由は阿字観法(修禅)の道場として最もふさわしい処としてお選びになられたのです。

 

       
     

こころのはなし(第156回)2010/03/15

 今月の6日は啓蟄でした。暦によると啓蟄とは土中にいた虫がそろそろと這い出てくる頃とあります。月初めに暖かい日がありましたので、このまま一気に春かと喜んでいましたが、再び寒波の襲来で高松でも9日、10日には霙が降りました。朝の勤行がことのほか辛く感じました。
 さて、13日頃になると中国の暦にある七十二節気のうちでは、「倉庚(そうこう)鳴く」とあります。倉庚とは鶯のことです。山里で鶯が鳴くころとあります。今年はまだまだのようですね。

3月16日は孫の卒園式です。お母さんは卒園式に着て行く着物合わせをしています。卒園式では孫がお別れのことばを読むそうです。孫は生まれてまもなく白血病と診断され、抗がん剤治療や色々な手を尽くして、最終的には骨髄移植をして奇跡的に助かりました。そのときには嫁は子に就ききりで、また家族の誰かが毎日片道一時間かけて県外の大学病院に行き、洗濯物の交換や、お弁当をとどけたりしてホローしました。その孫が2年間の幼稚園生活を終えて卒園します。本当に感無量です。

この季節はお別れの季節でもあります。そして先生や友だちと卒業の別れの挨拶が交わされます。サヨウナラ・・・
このサヨウナラとはどのような意味なのでしょうか?サヨウナラはサヨウナラバが変化した語だといいます。意味は「そのようであるならば」です。サヨウという語はもとはなかったものです。もとはオサラバといいました。サラバとはもう帰らなければならないという気持ちを挨拶語にしたものです。
子どもの頃サヨウナラといわないで「あばよ」と言って友達と別れたことを思い出します。アバヨとはアバは、「あれは」という意味で、もと感動をあらわす言葉が別れの挨拶になったといわれています。
 最近学習院が話題になっていますが、学習院の生徒が挨拶に使う「ごきげんよう」があります。これは御所ことばで出会いと別れの両方に用いるそうです。

何れにしろ春は悲喜交々縁によって出会い、縁によって別れていく季節です。また四月になれば孫が近くの小学校に入学です。少子化によって3つの小学校が統合され、校舎もすべて建て替えられました。そうした中で新しい世界が広がり、出会いがあり、色々なことを体験していくでしょう。この世界はご縁の世界です。ご縁によって成り立っています。孫も他人への気遣いのできる子に育ってほしいと願っています。
引用文献
 大修館書店 堀井令以知 著 にほんご歳時記

 

 

       
     

こころのはなし(第155回)2010/03/02

 先月、家内の血圧が高いので病院で診てもらうと、心筋梗塞の気があるといわれ、改めて色々と検査をしてもらいましたが、やはりその心配がるというので毎日病院通いをしています。そして食事は塩分少なめにして、病院では行くたびにストレッチをして帰ってきます。その功あってか血圧も一時より下がってきました。そのようなことがあったので、一度ゆっくりと温泉でもいって寛がせようと思い日程を調整したのですが、なかなか二日間の日程が取れません。
そして三月にずれ込み、やっと一日と二日の両日がとれて、岡山県の美作、湯郷温泉にマイカーを運転して家内共々行って来ました。この湯郷温泉は今から1200年ほど前、傷ついた白鷺に化身した文殊菩薩に導かれた円仁法師が湯郷温泉を見つけたといわれ、この伝統から鷺の湯ともいわれています。

宿泊した旅館は最近浴場などを改装し、内湯、露天風呂、薬石風呂と色々と工夫を凝らして集客に気を配っているのがよくわかります。特に薬石風呂は3畳ぐらいの部屋に小石を引き詰め、その小石の下から薬草の蒸気が出ているのでしょう、その蒸気によって小石が適度に温められ、その小石の上にバスタオルを敷き、横になると暖められた小石が身体に心地よく、10分ぐらい入っていると全身汗が吹き出てサウナ効果があらわれます。あとはシャワーで汗を流すと、実に爽快で病み付きになる感じでした。旅館の経営者はお客さんの要望に応えなければなりませんし、接客に心配りをして家庭では得られない満足感を提供しなければならず、本当に大変だなと思いました。

二日目は帰りの道すがら、二、三ケ所観光して行こうということで、先ず美作市(みまさかし)真神(まかみ)に在る長福寺に参拝いたしました。この長福寺は西日本播磨美作七福神霊場の一つで、立派な鎌倉中期、1285年の建立で丹塗りの美しい姿の三重塔が建っています。長福寺を後にして次の目的地である備前の閑谷学校に向いました。その閑谷(しずたに)学校に向う道は山の中の道で、クネクネと曲がる細い道です。対向車が来たら先ず交わすのが不可能と思われる山道ですが、ほとんど対向車もなく無事に里に下りることが出来ました。やれやれと思っていると和気清麻呂の生誕地である和気神社の横に出てきたではありませんか、これは幸運と早速家内と和気神社に参拝を致しました。境内にはわびすけという種類でしょうか、ピンク色の椿が今盛りと咲いています。この和気神社は本当に手入れが行き届き、神域を守る宮司さんのご苦労に頭が下がる思いでした。
和気神社を辞して40分ぐらい走ると備前の特別史跡閑谷学校に到着しました。この閑谷学校は岡山藩主池田光政が1670年に和気郡木谷村延原に庶民教育のための学校を建てるよう津田永忠に命じ、延原を閑谷と改称し、1673年講堂が完成しました。この講堂は現在国宝に指定されています。入母屋造りで錣葺(しころぶき)の大屋根をのせています。いったんこけら葺きの屋根をつくった上に、垂木ごとに漆をかけた一枚板を張り、その上に備前焼瓦をのせた手の込んだ造りです。この講堂では一と六のつく日に教授による四書五経などの講釈が行なわれたということです。本当に講堂は重厚な造りで圧倒させられます。校門を通り前庭に出ると紅梅、白梅が今を盛りにふくよかな香りを漂わせていました。梅園の横に在る茶店に入り甘酒をいただきながら家内と共に至福の時間を過ごすことが出来ました。

 

       
     

こころのはなし(第154回)2010/02/16

 2月1日のホームページの「こころの講話」では釈尊は煩悩の鎖から解放された人だとお話いたしました。煩悩のもとはものに執(とら)われることが最大の原因です。この執われる心から開放されることが大切です。
例えば方角とか日を気にする人がいます。今日はこちらの方角が悪いから他の道を行こうとか、今日は日が悪い友引だから結婚式はやめたほうがよいとか、仏滅だから法事はやめとこうと色々気にする人がいます。このようなことを一々気にしていたら満足に生きては生けません。しかし、多くの人が暦を気にしたり執われたりします。
また印鑑の画数が悪いといわれ、吉祥数の印鑑を作ったら社運が隆盛になるといわれ、高いお金を払い作ったら2ヵ月後に泥棒に入られ、金庫の中身を全部盗まれたという人もいます。
最近転んで足首を骨折し、入院したら隣のベットの人が骨折するのは姓名の画数が悪い、名前を変えたらもう骨折などしない。私は姓名判断を少しするので、私がよい名前を考えてあげるからといわれ、晃子を彰子に変えました。いよいよ骨折もよくなり退院する日になって、ベットから降りようとした弾みにベットから落ちてしまい、レントゲンを撮ってもらうと大腿骨にひびが入っていたというお話しもあります。
仏さまの智慧は世の中の真理をもって物事を思慮します。我々の知恵は損得の知恵です。
 
 産経新聞に次のような詩が載っていました。

 「ぼくは今日学校の帰りに/トンボをつかまえて家に帰ると/おかあさんがかわいそうだから放してあげなさいと言った/
ぼくはトンボを放してやった/トンボはうれしそうに空高く飛んでいった/それから台所に行くと/お母さんがほうきでゴキブリをたき殺していた/トンボもゴキブリも昆虫なのに」
少年の目には差別はありません。しかし、この母親は人間中心主義が身についています。人間に都合のよいものは「放してやりなさい」と優しいが、人間の都合悪いものはたたき殺しても心に痛みを感じない。これが人間の世界です。仏さまの目は生きとし生けるいのちはみな平等です。ですから仏さまは一切衆生とおっしゃっておられます。生きとし生けるいのちはみな平等と見るのが仏の知恵です。損得で考えるのは人間の知恵です。

先月知人家にお邪魔しました。玄関を入ると目の前に大きな水槽が置いてあります。それは熱帯魚の水槽です。見ると20センチほどの真っ白いなまずのような熱帯魚がゆったりと泳いでいます。その水槽の下にもう一つ水槽が置いてあり、中には赤い小さな金魚がたくさん泳いでいます。
私は上の水槽の熱帯魚の白と、下の水槽の赤い金魚のコントラストが綺麗ですので、つい褒めてしまいました。ほんとうに赤と白とできれいですね。すると友人が「イヤ・下の金魚は上の熱帯魚の餌なんですよ、生きた金魚が餌なのです。この熱帯魚きれいでしょう。ほんとうにかわいいです。」といい下の水槽から金魚を一匹掬い熱帯魚の水槽に入れると、その白い熱帯魚は一口で赤い金魚を飲み込んでしまいました。
白い熱帯魚も赤い金魚も同じいのち、人間の命も同じいのちに生きているのです。このように自覚するのが仏さまの智慧なのです。

       
     

こころのはなし(第153回)2010/02/01

 アッという間に一月も通り過ぎ、二月のこえをききました。古人は「東風氷りを解く」古の人は東の風は少しずつ氷りを溶かしますよと、寒さの中に春の風を感じ取っていました。2月3日は節分です。お寺の庭にすでに蕗の薹が出ています。春は確実にやって来ています。
 「世界がもし100人の村だったら」に
33人がキリスト教 
19人がイスラム教13人がヒンドゥー教
6人が仏教を信じています
5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています。
24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか
あるいはなにも信じていません
世界の4大宗教といわれるのがキリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教、仏教です。仏教はこの中で最も長い歴史を持っています。

私たちは仏教徒です。仏教徒の定義はたいへん難しいと思いますが、一番簡単な定義は仏教を信じていることです。
 仏教は「佛の教え」です。インドの古い言葉で「目覚めた人」をブッタといいます。このブッタを漢字で発音するとブッタのブツは佛という字を当て、タは陀という漢字を当てはめます。これで佛陀となります。それで佛陀の佛の一字で「仏さま」というようになりました。佛さまの佛を分解してみますと「弗」(ふつ)に人偏がついています。人偏は人という字です。人がついて「人にあらざるもの」という意味になります。

「人にあらざるもの」とは私たちとどう違うのでしょうか。仏さまは「煩悩の鎖から解放された人」です。私たちはよく百八煩悩といいますが、百八煩悩とは数限りない煩悩の数を言います。
ショッとすると私たちは百八煩悩の塊ではないかと思います。その煩悩によって苦しみ、悩み、憂いながら苦しみの世界を生きています。その苦しみから解き放たれるには、(解脱)この煩悩の鎖から解き放たれないうちは、苦しみの世界に浮き沈みしているのです。その苦しみの世界から解き放たれるには、智慧を持つことです。
 ところが私たちの知恵は損得計算の上に立っている知恵です。
仏さまの智慧は般若の智慧といい、損得なしの知恵ではありません。智慧と知恵の違いは仏さまのちえは智慧、人間のちえは知恵と書きます。

仏典のジャータカ物語に「猿と一粒の豆」というお話があります。
あるところに一軒の農家がありました。一匹のサルが農家の庭先に干してある豆を失敬しました。口にいっぱいほうばり、おまけに両手にあふれるばかりの豆をつかんで、木の上に逃げました。木の上に腰を下ろして、ゆっくりと食べていたのです。ところが、途中でその豆の一粒をボロリと落としてしまいました。
すると猿はどうしたと思いますか、・・・
サルは両手に握っていた豆をパッと投げ捨てて、あわてて落ちた一粒をするすると木をすべり降りて探しにいったのです。
 木から降りて、木の下をサルは血眼のなって探しました。けれども豆は見つかりません。その時のサルの悲しそうな顔・・・
この話から皆さんはどのような教訓を学びますか。
一粒の豆のために、多くの豆を犠牲にするのは愚かです。一粒ぐらいどうでもいいではないかと思います。しかし、私たちはこの猿のように大切なものを求めず、一粒の豆だけを追うようなことを日常生活ではしているような気がします。
私の知り合いが、とても珍しい魚を飼っています。名前は分かりませんが、20センチもあるかと思う真っ白な魚で、ちょつとナマズに似ています。その飼育している水槽の下にもう一つ水槽が置いてあり、金魚がたくさん泳いでいます。私は金魚もたくさん飼っているのですね。というと「この金魚は上の水槽にいる熱帯魚の餌なのです」というのです。「生きていないといけないのです」というのです。私はびっくりしました。熱帯業を飼うために生きた金魚をえさとしてあげる。仏さまならば、熱帯魚も金魚も尊い命です。熱帯魚も金魚も同じいのちととらえ、両方のいのちを生かす方法を考えるのが仏さまの智慧なのです。この仏さまの智慧を持とうではありませんか。
引用文献
ひろさちや著 新訳仏教寓話 智慧袋
池田香代子再話 C.ダグラス・ラミス対訳
世界がもし100人のむらだったら

 

       
     

こころのはなし(第152回)2010/01/15

 うかうかしていたら早くも15日、ホームページ心の講話の書き換え、ほんとうに日がたつのが早いです。慌ててパソコンに向っています。この頃は寒波で本当に寒い。朝起きる頃は1度か2度の寒さですが、火の気のない本堂での勤行は若いとき、高野山で修行していた頃の修行感覚が戻ってきます。
年末までは起床は4時40分でしたが、今年の1日からは5時30分にいたしました。山門を開け、本堂の戸を開けると6時の鐘を撞きます。この2・3日は寒さと同時に強風です。隣が9階建てのマンションですから、そのビル風が半端ではございません。
手が悴み目から涙が出ます。寒いからといって鐘を打つスピードを上げるわけもいかず、ただ粛々と撞いています。

なぜそれまでして鐘を撞くのでしょうか。それは四威儀作法という本の中にこのように書かれています。
「洪鐘(こうしょう)晨(あした)に響いて群生(ぐんじょう)を覚(さま)し、声は十方無量の土に遍(へん)ず、識(しき)を含む群生も晋(あまね)く聞き知りて有情長夜(うじょうちょうや)の苦を祓(はら)い除(のぞ)かん」
この偈文は「打鐘の偈」といいます。まず寺院では午前四時になれば鐘を鳴らして大衆に暁天(朝)を告げます。
暁天とは寅の刻、現在の4時です。鐘の音は、上は三十三天から下は八寒八熱の奈落の底に至るまで響きわたって、目覚めるものを目覚めさせ、目覚めたものに一層のその覚醒(かくせい)の度を深めさせるのです。
 ある方が元来わが国の梵鐘の音色は荘厳幽玄であって、宗教的信念を喚起するのにすこぶる効あり。といわれている通り、そのために古くから文芸などに出てまいります。
新古今集に
山里の 春の夕ぐれ 来てみれば
      入相の鐘に 花ぞ散りける
明治時代に流行した新体詩では「孝女白菊」のはじめにある
 阿蘇の山里秋ふけて、ながめさみしき秋の暮れ、 いずくの寺の鐘ならん、諸行無常とつげわたる。
とあります。
また与謝野晶子の短歌に
 春の雨 高野の山に おん稚児の 
得度の日かや 鐘多く鳴る
このほか謡曲「三井寺」にも出てきますし、数多くの鐘を題材にしたものがありますが、何れにしろ寺で撞く鐘は迷えるものを覚醒させ、多くの人に信仰心を喚起するために朝撞くのです。
 また鐘を撞く回数は九回です。はじめの三つは捨て鐘といい、始から大きい音で撞くと近所の人がびっくりするので軽く撞きます。あとの六つは六道を表します。六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を指します。要するに六ッの鐘の音は六道に迷う人々を救うという意味があるのです。


       
     

こころのはなし(第151回)2010/01/01

 明けましておめでとうございます。
皆様にはご機嫌麗しく新年をお迎えのことと存じます。
お正月が来ると明けましておめでとうと言いますが、明けましてとはどのような意味か調べてみました。明けましてとは日や年があらたまること。宇津保物語に見えるそうですが、この宇津保物語(うつほものがたり)は20巻からなるわが国最初の長編物語です。題名は、主人公藤原仲忠が幼少時に北山の大杉の空洞(うつほ)に住み、猿に養われて育ったという首巻の話によります。

さて、明けるというのは日や年があらたまると書きましたが堀井令以知著作の「にほんご歳時記」を見ますと、清少納言の「枕草子」に「春はあけぼの」とあります。この「あけぼの」とは夜がほのぼのと明けるころがアケボノです。しだいに物が見分けられるさまを、ホノカに明けると形容したもの。アケボノの前はアカツキです。その古い形はアカ(明)トキ(時)で、夜明け前の暗いときをいいます。
 
また東の空が白みはじめるころをシノノメ(東雲)というのは、篠(しの)竹で作られた篠の目の意味から、古代住居の明り取りに用いた篠の目から、夜明けの薄明かりがさしたことをシノノメといい。あけぼのをいうイナノメも、稲わらの窓の明かり取りの編みの目にもとずくとあります。
このように日本語というのは本当に繊細な意味を持ちます。感心することしきりです。
 
話は変わりますが、一休宗純禅師の道歌に、
 
 門松はめいどのたびの一里づか
   馬かごもなくとまりやもなし
とあります。私は今まで、「門松はめいどのたびの一里づか めでたくもありめでたくもなし」と覚えていましたが、ひろさちやさんの「仏教とっておきの話」にめでたくもありめでたくもなしではなく、「馬かごもなくとまりやもなし」とあるので自分の間違いにはじめて気づきました。
 
 人間の一生は瞬く間に過ぎてしまいます。80歳まで生きるとしてその中身を見てみると、27年間は寝ています。十年間は食事をしています。トイレを5年間使います。合計42年間。この時間は健康を保つための24年間です。
 80年間から42年間を差し引くと38年間です。38年間目をパッチリ開けて何かが出来るのは38年間です。この38年間はどのような時間でしょうか。仕事をしたり、勉強をしたり、遊んだり、その中で笑ったり、泣いたり、腹を立てたりしています。
またあれが欲しい、これは好きだ、あれは嫌いだとあれこれしている間にいつの間にか時は過ぎ、何もしなかった人生の幕が下ろされてしまいます。一休宗純禅師は「うかうかするなよ」と言っています。
引用文献
 にほんご歳時記 大修館書店 堀井 令以知著
 こよみ読み解き辞典柏書房 岡田芳朗 阿久根忠編著
 仏教とっておきの話 新潮社 ひろさちや
仏教スクール 第78号 文 篠原鋭一


     
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