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心の講話


■ 心の講話バックナンバー 2006年分
     

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● こころのはなし(第87回)2006.12.15

 12月に入ってから急に多くなるのが喪中の葉書です。15日までに既に24通の葉書を戴きました。実は私も喪中なのです。今年の2月5日に94歳の父親が亡くなりました。本来なら喪中の葉書を出さなければならないのですが、父は94歳で亡くなりました。94歳ということは天寿を全うしたことです。天寿ということは天から授けられた寿命、まさに年については不足ありません。逆におめでとうと言ってあげたいのです。

私は天寿を全うしたということは、本来の世界である大宇宙に帰られたことなのだと理解しています。最愛の人と永遠の別れをするということは悲しく、寂しい事です。しかし、喪中のために生き方が消極的になったり、家庭内が暗くなったりすることは父は望まないだろうと思い、私はあえて喪中の葉書を出さずに置こうと決めました。

この喪中とは一体どのようなことでしょうか。広辞苑を見ると次のように書いてあります。
 死亡した人を追悼する礼。特に、人の死後、その親族が一定期間、世を避けて家に籠もり、身を慎むこと。親疎によってその期限に長短がある。と出ています。
一定期間身を慎むことを忌服(きふく)といい、忌み、喪といいます。本来は中国から伝わってきたもので、死を汚れたものとする考えかたから、人が亡くなった場合に、その家族のものは死の汚れが身の付いているので、人と交わらずにじっとしていて、故人の冥福を祈り、忌み明けを待って、はじめて普通の人間と同じ生活ができるようになるというものもあり、その期間休暇が与えられていたのです。この汚れとは汚れたとか不浄という意味ではありません。汚れとは気がかれるから来ています。気が萎えてしまう。気力がなくなってしまうということです。日本ではこの忌服というものは、江戸時代、徳川幕府によって決定づけられており、明治に入ると、本人と亡くなった人との続柄によってそれぞれの休暇期間(忌引)が定められているようです。
 以前は死に対する汚れの観念が強く、喪中の期間には肉食など生臭いものは食べない、人と交わらないというふうに忌み籠もっていたわけですが、現在ではこの考えが薄れて、すき焼きはするし、焼肉を食べに行くし、パーティーに出席はするなど、生活習慣も変わってきました。
 では現在は、忌服というのはどのような形で残っているかというと、49日が済むまでは、神事、祝い事には参加しない。つまり冠(成人式、元服)、婚、祭には関与しないこと、具体的に言うと神棚を祀らない。お宮参りをしない。家も建てない。地域の祭りに参加しない。個人や団体のお祝い事に参加しない、年賀状を出さないなどがあげられますが、現在では年賀状を出さないことだけが唯一喪に服している形として、普段の生活は全く変わらない人が多いのではないかと思われます。

 

 

       
   

● こころのはなし(第86回)2006.12.01

光陰矢の如し、当に時の流れるのが早く感じられる今日この頃です。今年は暖冬といわれて過ごしやすい日々が続きましたが、12月にはいると流石に寒気が南下して、上空1千メートルは0度の予想ですから、千メートル級の山は雪が降るかもしれません。
12月7日は暦の上では大雪(だいせつ)です。
 大雪とは旧暦の11月、新暦の12月7日、8日頃と記憶しています。この大雪は立冬からかぞえて約30日前後です。
このころになりますともう山の峰は積雪に覆われているので、大雪といいます。平地も北風が吹きいよいよ本格的な冬が訪れます。
これから日本海側の富山などではブリの水揚げが多くなるのではないでしょうか。

11月30日の朝日新聞に豊作無残という記事が出ていました。豊作で値崩れしている大根の価格を守るため、国が緊急需給調整に踏み切ったと書いてあります。これによって関西の一大産地、兵庫県たつの市御津町で廃棄処分がはじまったと写真入で紹介しています。このたつの市では生産量は例年、約5千トン、卸価格の平均は10`700円前後ですが今年は温暖のために大根が育ちすぎたことが影響し、価格が暴落して平均値が10`当たり341円に下がったそうです。
このため農家ではトラクターで次々と大根をつぶし、全国で約2800トンが廃棄されるといいます。本当にもったいない話ですが、農家にとっては死活問題です。大根を作るのには畑を耕し、種を蒔き、大根が育つにしたがって間引きをしなければいけませんし、病虫害の駆除もしなければなりません。大根の種まきは秋の彼岸頃と聞いていますが、寒くなり大根の需要が増えるころを見計らって出荷します。種まきから出荷までの約3ヶ月間は収入にならないわけで、これが温暖のため育ちすぎ、廃棄処分となると本当に泣くになけないつらさがあると思います。
約25f分の大根を廃棄する大西康文さんは、朝日新聞に「本当に胸が痛む」とコメントをしています。
この温暖化はやはり地球環境の悪化によるものとの認識を多くの人はお持ちだろうと思います。いま環境省では「ウォームビズ」に取り込んでいます。ウォームビズとは「暖房に頼り過ぎず、働きやすく暖かく格好よいビジネススタイル」のことだそうです。具体的には暖房を抑え、オフィースの室温を20度にすることを呼びかけています。このことは2005年2月、先進国に温室効果ガスの削減を義務づける京都議定書が発効し、日本では温室ガスの廃出量を1990年にくらべて6l削減することを約束し、その一環としてこのウォームビズの提唱となったのです。(環境省ホームページ)確かに未来に向けて地球を守ることは人類の使命でもあります。我々がこれからかけがいのない地球を守るためには何ができ、何をするべきかを考えていかなければならないと思います。すべての「いのち」が共存するために。
高野山真言宗では「いかせ いのち」をメインテーマとして活動しています。すべての命が共存する理想の世界を密厳国土(みつごんこくど)と表現しています。


 

 

       
   

● こころのはなし(第85回)2006.11.15

今年は暖冬と言われていましたが、11月7日の立冬を境に急に冷え込んでまいりました。ちょうど立冬の7日は強風が吹き、JR 瀬戸大橋線の列車が止まってしまいました。風速20メートルになりと列車の運行をストップさせるそうです。利用客もさぞ難儀な思いをしたのではないでしょうか。
 今年は本当に立冬の前日までは暑いくらいの日が続きましたが、しかし、太陽暦の11月6日は旧暦の9月16日に当たりますので、今までのポカポカ陽気は旧暦から見たら不自然ではないわけです。

急に寒くなった立冬の日の7日、香川県教誨師会(きょうかいしかい)の先生方と共に2年に一度の研修旅行に出発いたしました。このホームページをご覧の方は教誨師会とはどのような活動をしているかご存知と思いますが、 教誨師とは正確には宗教教誨師といいます。宗教教誨活動は民間の篤志家である宗教家が行刑施設に赴き、被収容者に信教の自由を保障すると共に、信仰により宗教的情操が涵養され、彼らに罪しょう感を芽生えさせ、更には更正の契機を与えていくことを主眼としています。

 さて、最近社会の情勢を見ますと、幼い子どもが被害にあうような痛ましい事件が続発していますし、凶悪な事件がおこり、国民の間に安全に対する不安が広がっています。その故に教誨師も多方面にわたり現状を把握しておかなければなりません。ですから年に何回かの研修を行っています。

今回は奈良少年刑務所の視察研修を実施いたしました。、天理教の教誨師の先生によるご好意で、高松からバスの提供をいただき、また天理教にある宿舎も提供してくださいました。
翌日8日、天理市から奈良少年刑務所に向かい、研修を受けました。はじめに施設側の担当の職員から施設の概要の説明を受け、その後に施設見学を致しました。

奈良少年刑務所は現在約850人が収容されています。明治4年奈良監獄として発足し、昭和21年に奈良少年刑務所と改称されました。
昭和29年県立奈良高等学校通信制課程の受講を開始し、昭和49年に同校の全科目の受講を開始して、多くの被収容者が同校の通信制課程を受講して必要な単位を履修しています。また色々な職業訓練が実施され、木材工芸科、ソフトウェア管理科、理容科など14種目の職業訓練を行って、出所後の社会復帰に向けての努力がなされています。
奈良少年刑務所の職員の方々は受刑者の入所から出所に至まで、あらゆる助言や指導を行い、そのご苦労に頭が下がる思いが致しました。

施設の広間に一幅の額が掲げられていました。

生まれかわることはできない
でも
生き方をかえることはできる

 この言葉がいつまでも私の心に残っています。
 

 

 

       
   

● こころのはなし(第84回)2006.11.01

 今年もあと11月、12月の二ヶ月となりました。11月のことを霜月といいますが、雪待月とも申します。雪待月は陰暦11月の異称です。そろそろと北のほうから雪の便りが聞こえてくるころです。暦の七十二候(一年を自然現象や草木、鳥、虫、けもの、魚などを観察し、その時候を表現したもの)に「草木黄落す」とあります。霜が降り、草木が黄ばんで落ち始める新暦の10月29日から11月2日頃を指します。
この七十二候を見ると、昔の人は本当によく自然界の姿を観察しているなと感心いたします。

さて、話は変わりますが、つい先日中学校の同窓会が開かれました。みな昭和16年か17年3月までの生まれで、昭和32年に藤沢市立明治中学を卒業いたしました。それから数えると早や50年になります。みな64歳か65歳になります。65才と言えば高齢者の仲間入りです。65歳から国民年金をもらえる年令となります。この人生の節目に同窓会をという呼びかけに喜んで参加いたしました。

集合は神奈川県藤沢市のJR 辻堂駅前です。朝7時半の集合で私は出発直前にバスに乗り込みました。既に参加者全員が顔を揃え、毎年お会いする友達もいれば50年ぶりという友人もいます。それが忽ちに打ち解けて何のこだわりもなく50年まえの中学時代に戻ってしまいます。
車中アルコールが入ったためか話が盛り上がり、いつの間にか相模湖を通り、中央高速に入りひた走りに今日の目的地である大町温泉に向かいました。途中安曇野に寄ってわさび畑を見学し、普段食べもしない山葵入りのソフトクリームを食べながら散策を致しました。そして夕方ホテルに入り露天風呂、宴会と夜の更けるのも忘れて話に興じました。
翌日はまたとない快晴に恵まれ、大町アルペンラインを走り、関電トンネルトロリーバスに乗り換えて黒部ダムに向かいました。その長いトンネルを抜けると一変に視界が開け、1,470mの黒部ダムに到着です。立山はすでに雪を戴き、美しい姿を現しています。そして黒部湖遊覧船に乗り紅葉を楽しみました。紅葉は七十二候の言葉通りに「草木黄落す」で全山黄色の葉で包まれ、幻想的な景色に吾を忘れて見入ってしまいました。
この余韻に浸りながら黒部ダムを後に致しました。

儒教の思想を本系として、老荘・禅学の説を交えた処世哲学書である菜根譚に
「新知を結ぶは、旧交を敦(アツ)くするに如(シ)かず」とあります。新しい友人を求めるよりは、古い友人を大事にしたいという意味です。まさに今回の同窓会は旧交を敦くした二日間でした。

安曇野の水車大町りんご園

黒部湖の紅葉アルペンラインの紅葉

立山を望む紅葉

(↑クリックすると大きい写真を表示します)

 

       
   

● こころのはなし(第83回)2006.10.15

 昨年から高松の中條財団というところが企画して、高松市内24箇所にお茶席を設け一週間前の日曜日に大茶会を開催しました。お茶席会場は栗林公園や市内にある寺院、料亭、またお茶室、などなどそれぞれ趣向凝らして終日お茶人を楽しませてくださいました。全会場に参加した人は千人を超えました。
 会場となる料亭などは点心を出し、屋島近くの寺では琴の演奏で茶人を楽しませ、 弘憲寺も昨年の第一回からこの催しに参加し、今年は94人の方を接待いたしました。弘憲寺では座禅とお粥で持て成しを致しました。
 
寺では毎月一回密教禅塾という座禅会を開催し、座禅のあとでお粥を差し上げ仏道修行の食事作法(じきじさほう)を行っています。私は食教育を提唱しています。いま学級崩壊が深刻な問題になっています。授業中に突然立ち上がり教室内をうろうろする子、突然奇声を発する子に先生は手を焼いているといいます。なぜこのようなことが起こるのでしょうか?学級崩壊の前に家庭崩壊があります。正しい生活習慣を身に付ける場が家庭です。
その躾けの基になるのが食教育です。夕食は家族揃って食事をする。食事のときに親は子供たちの様子に気をつけ、会話の中で子供の体調不良や学校であった事に耳を傾けることが大切です。また食事の時には食べる前に「頂きます」食べたあとには「ごちそうさまでした」といい、料理を作ってもらった人への感謝の気持ちと、野菜を栽培してくださった農家の人や、動物のいのちに対して感謝の気持ちを表すことが大切です。
 聞いたところによると、いま小学校では給食のときに、手を合わせ頂きます。と言わせないと聞いています。給食費を払っているのになぜ手を合わせ、頂きます、ごちそうさまを言わなければいけないのかと学校に抗議した親がいるといいます。事実かどうか一度学校に問い合わせたいと思っています。

阿部首相は美しい日本を作ると公約しました。公害のない環境をつくることも大切でし、学力向上を図ることも必要です。しかし、もっとも大切なのは精神教育が高められ、精神文化が高くなることだと思います。それには食教育を通して家庭教育を充実させ、しっかりした価値観を身に付けさせることです。
一灯園同人の石川 洋三の著作で「一日一日を生きる」ぱるす出版に次の詩が載っています。

これほど、物が豊かになって
なぜ、空しいのか。
捨てるほどの充足に恵まれながら
なぜ、"足りない"のか。
それは、物を捨てることによって
"心まで捨てている"
おごりに気づいていないからである。

「福」という字は
一口で食べられる田をもつことに
満足を知ることの大切さを教えている。
"足らない、足らない"が心の貧しさである。

また

食卓に座ると
なぜかお母さんは権力者になる。
子供を叱るだけでなく
主人を叱り
年寄りをないがしろにし
近所の悪口におよんでいく。
食卓を
叱る場や
人の悪口をいう場にしてはならない。
ほめることがあったら
食卓の場でほめることである。
家庭教育の基本は
家庭環境をつくることにあるのだ

味わい深い言葉です。

       
   

● こころのはなし(第82回)2006.10.01

  私は9月26日から29日までの4日間、実弟と共に中国福建省厦門(シアメン)アモイに行ってまいりました。弟は私の実家である高野山真言宗のお寺の住職をしています。今年の2月5日に実父が94歳で遷化しましたので、父の墓を建立しなければなりません。そこで、弟はこの際お寺の歴代住職のお墓を造ろうと思い立ちました。
個人の墓でしたら墓石を建てればよいのですが、歴代のお墓となるとそれに相応しい墓を建立しなければなりません。日本の石材店を通して中国の石材工場に発注いたしました。

石材工場は厦門から車で2時間ぐらいのところにある泉州というところにあります。町は石材工場や石材店ばかりのところです。
埃っぽい町の中に藝寶(芸宝)という石材工場はありました。
既に発注していた五輪塔とその廻りを取り囲む外壁の部分は完成しておりました。その製品が間違いなく出来ているか否かを確かめるための訪中でした。この出来上がった墓石の数々はこれから厦門の港から船出して、年内にはその製品はお寺に到着すると思います。

私は今回泉州の石材工場を二三訪問して驚いたことがあります。それはどの工場でも従業員の健康管理が全くなされていないことです。どの工場でも従業員はモウモウたる石塵の中でマスクもつけず排塵対策がまったく出来ていないところで働いていることです。

石材加工の一番怖い病気は塵肺という病気です。塵肺というのは色々な粉塵を吸入したために起こる肺の病気です。
特に金属鉱山、土石工業、陶磁器製造業、ガラス工場などに従事する人々に起こる職業病といわれています。日本では所見があれば労災認定される病気ですが、中国においてはその配慮が全くなされていないのが現状です。石材加工業に従事する人たちは若くして死亡する例が少なくありません。中国は人口が13億人といわれています。ここに世界第一の経済発展を続けています。確かに中国に訪れるたびにその変貌を目の当たりに致しますが、中国で全く立ち遅れているのが人権と生命尊重の配慮ではないでしょうか。
今中国は公害によって河川は汚れ、到る所にその弊害が出ています。また交通ルールを全く無視しています。中国で車に乗せてもらうと気が休まるときがありません。ドライバーが勝手に交通ルールをつくって運転している感じです。必ず何年かの後に経済発展の付けがまわってくると思います。
そうした中で、泉州の開元寺に参拝しました。この寺は唐代の686年に創建され、大雄殿(本堂)をはさんで東に鎮国塔、西に仁寿塔という南宋時代の石塔が立っています。喧騒の町を離れ、緑が多い開元寺の境内に立つと、歴史の重みと静寂さに救われます。これこそ本来の中国の姿ではないかなと感じました。

       
   

● こころのはなし(第81回)2006.09.15

  暑い暑いと言っていたのに、白露を過ぎると今まで暑くて寝苦しかったのが嘘のように秋風が立ち始めました。白露は「しらつゆ」のことで、秋気も本格的に加わり、野草にもしらつゆが宿り秋の趣が感じられる頃です。今本堂脇にある弁天堂の前に二株ほどの萩の花が咲いています。萩の花は本当に可憐な花です。日本の秋を彩る花では最たるものです。万葉集には百四十首以上もあり、万葉の時代から萩の花は日本人のこころをとらえていたのでしょう。

 山上憶良(やまのうえのおくら)の秋の七草の歌に、

萩の花 尾花葛花(くずばな) なでしこの花
女郎花(おみなえし)また藤袴(ふじばかま) 朝がほの花

とあります。
 俳句歳時記を見てみると、芭蕉の句に
一つ屋に遊女も寝たり萩と月
があります。一茶の句には
    小男鹿(さおじか)の喰いこぼしけり萩の花
また正岡子規は
萩咲いて家賃五円の家に住む
の句を残しています。何れも初秋の風情が伝わってまいります。

こうして萩が満開になる頃、秋のお彼岸がやってまいります。この彼岸は春秋の二回あります。仏教が伝わった飛鳥時代、1444年前の欽明天皇時代です。そのとき物部氏(もののべし)と中臣氏(なかとみし)が日本に仏教を受け入れることに反対致しました。一方仏教を信仰し帰依したのが曽我氏です。
 その後、仏教を受け入れるか否かで争いは子供の代まで続きました。この戦いで聖徳太子は曽我氏につき、必勝を祈って四天王に願をかけ勝利をおさめたので寺を建てました。この寺が大阪にある四天王寺です。このような中で、仏の教えをもって国の安定を図ろうとしたのです。そして日本の国を作っていくためには、精神的な支柱がなくてはならないと考えました。そのために一年中で一番季節の良い時期であり、太陽が真東から昇り、真西に沈む春分の日、秋分の日を中日とし、中日の前後三日づつ、都合七日間を彼岸としたのです。この七日間はただの七日間ではありません。
簡単に申しますと、自分自身を見つめなおす一週間なのです。
それは

(1)永久に変わらない教えである真理を基とし、(智慧)
(2)その真理(おしえ)をもって心を鎮めて正しい生き方について思慮し、(禅定)
(3)正しい生き方に向かって努力をしていく(精進)
(4)努力していく中で、なかなか思うようにならず苦しくとも耐え忍んでゆく(忍辱)
(5)規律ある生活を進める(持戒)
(6)心貧しき人には教えを施し、物質的に恵まれない人には物をもって施す。(布施)

彼岸の彼(か)の岸とは心安らかな理想の世界です。現実のこの世の中は欲望によって悩み、苦しみ、憂いの世界であり、思うようにならない世界です。この苦渋に満ちた世界から心安らかな世界にいたるのが彼岸の本来の意味です。

       
   

● こころのはなし(第81回)2006.09.01

 お盆がすんで忙しさが遠のき、一段落している時、前から企画していたサマーキャンプに参加いたしました。
参加者のメンバーは「愛の会」の会員で、会員が14名、愛の会の構成メンバーは全員職種が違います。
この会は会員の1人に喫茶店を経営している方があり、その喫茶店にお茶を飲みに行く間にお客さん同士が自然に会話し、友好の輪が出来て愛の会が生まれました。

喫茶店主の奥様の名前愛子さんの名を取って愛の会が誕生しました。既に結成以来17,8年ぐらいになるのではないかと思われます。
この愛の会は毎月定期的に集まるわけでもなく、たまにお茶を飲みに行って、今年の夏はキャンプに行きたい、花見をしたい。観月をしたい等、この企画はどうでしょうかと提案しておくと、愛子さんが取りまとめて、実行に移されます。
このようなことで、今年のサマーキャンプは香川県の西に位置する丸亀市の沖合いにある「本島」に決定し、8月19日、20日に11人で実行に移されました。

本島は瀬戸内海の塩飽諸島(しわくしょとう)の中の一つの島です。この塩飽諸島は周囲16キロの本島を中心に、世界一の長大橋である"瀬戸大橋"が横たわる櫃石(ひついし)黒岩、広島、手島など大小28の島々の総称です。この瀬戸内海に浮かぶ島々の景色は絶景で、特に夕日が沈む頃は息を呑むほどの美しさです。

本島から瀬戸大橋を望む本島から瀬戸大橋を望む
(↑クリックすると大きい写真を表示します)

 

この「しわく」の名は、島の浜辺で生産された製塩の"塩焼く"また、狭い備讃の瀬戸の潮が大小の島かげにぶつかりあって、複雑に渦巻いて流れる"潮湧く″の転化とも言われています。

特にこの塩飽諸島が有名なのは、廻船業を営む塩飽水軍(しわくすいぐん)です。この塩飽水軍は鎌倉時代から室町にかけて
"十七、八が二度候かよ、枯木に花が咲き候かよ"と勇躍して玄界灘を押し渡り、中国大陸から安南(ベトナム)カンボジャへと交易を求めた海の男たちのことです。この不適な男たちは「和寇」と呼ばれ、後に水軍、船方、水夫として世界の海で素晴らしい活躍を見せるのです。

塩飽水軍が世に出るのは織田、豊臣時代を経て徳川300年へと受け継がれますが、信長の石山本願寺攻めに味方して、堺港に出入りする特権を得ました。塩飽衆は秀吉の島津攻め、北条攻め、朝鮮出兵での海上輸送の功労として、これらに携わった650人にたいし、塩飽の島の1250人に対し、千二百五十石の領地が与えられ人名(にんみょう)と称したのです。以降、塩飽諸島は650人の船方衆の共有財産としてその中から選ばれた4人の年寄りたちによって交代で政治が行われ、その政治が行われたところが「塩飽勤番所」で、現在国の史跡に指定されています。

この塩飽船方衆が最後に名を上げたのが、日本人の手で太平洋を始めて横断した咸臨丸(かんりんまる)の快挙です。このとき乗船した水夫50人のうち、じつに35名が塩飽出身の水夫です。
時代は万延元年(1860)1月、日本の世明けは塩飽の男たちに握られていたのです。

 また本島は24もの寺院があり信仰の島であります。数多くの文化財が古きよき時代を語りかけてきます。私たちが宿泊した笠島地区は国の「伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた集落です。笠島地区は北に開けた海に沿って、本瓦葺に漆喰塗りの白壁や、なまこ壁に千本格子の窓をあしらった町並みがひしめき、それらがどっしりと落ち着いた佇まいを見せています。
 私たちが宿泊した大倉邸は、江戸時代に立てられた建物で、愛の会のメンバー11人はそこで自炊して古き時代の重みを感じ取りました。

江戸時代の民家群江戸時代の民家群

江戸時代の民家群大倉邸
江戸時代の民家群

塩飽勤番所塩飽勤番所
(↑クリックすると大きい写真を表示します)

 

       
   

● こころのはなし(第80回)2006.08.15

  朔日から始まった盆お盆の檀家廻りも無事15日に終わることが出来ました。今年は期間中雨も降ることもなく、予定通り順調に日程を消化することが出来ました。しかし、今年は猛暑に見舞われ、連日35度前後の間を推移し、100ccのモーターバイクで走るのですが、道路は太陽に照らされてアスファルトが軟らかくなっています。また道路の前方を見ると陽炎が立っています。
 
お蔭で思考能力も低下したのでしょか、お経を終えて檀家さんの家を出てスタンドをあげないまま運転し、直線から四差路に差し掛かりウインカーを出し左折を始めたときに、自然にバイクは左方向に傾きます。その時仕舞い忘れたスタンドが道路に接触をし、バランスを失って交差点で横転してしまいました。本当に一瞬の出来事でした。
 
幸いにも怪我もなく安心いたしましたが、二三日したときに手の甲に青いあざがあるのを見つけました。強く打ったのでしょう、怪我といえばこの一箇所だけですみました。
兎に角今年の夏は本当に暑うございました。無事に健康で今年のお盆を勤めることが出来て内心ホッとしています。私も来年は高齢者の仲間入りです。年々体力は衰えるでしょうから、何時まで盆経に回れるか不安ですが、今年も無事お盆を過ごすことが出来たという感謝の気持ちのほうが大きいのです。

私と息子たちが毎日衣を着けますが、肌襦袢は汗で濡れてしまい、白足袋は直ぐに汚れてしまいます。その肌襦袢と白足袋を息子二人と私の3人分を毎日洗濯をしてアイロンをかけてくれます。そのお蔭で毎日気持ち良い襦袢を着ることが出来ます。これを妻は何十年といやな顔をせずにしてくれていることに頭が下がり、感謝の気持ちでいっぱいです。

よく良妻賢母という言葉があります。この意味は良妻であり賢母であるということと広辞苑にはあります。良妻とは何でしょうか?主人の言うことを素直に聞いてくれる奥さんでしょうか。主人を支え家庭をしっかり守ることを言うのでしょうか?良妻賢母の定義は難しいですね。だから広辞苑では「良妻であり賢母であるということとしか書いてないのでしょう。

皆さんはこのような言葉をご存知ですか。講談社発行の「話のねた・使える話いい話」の中に出てくる言葉です。それによると「アイウエオ夫人」という言葉があります。「アイウエオ夫人」とは「ア」は朝寝坊、飽きっぽい。「イ」は色っぽい、粋な感じ、「ウ」は嘘つき、うわべだけの付き合い。「エ」はエゴイズム、自分本位のことです。「オ」は怒りっぽい。そんな性格をもっている奥さん。
また「サシスセソ夫人」というのがあります。この「サシスセソ夫人」というのは戦前派のしっかりした奥さんを指します。「サ」は裁縫上手。「シ」は始末の「シ」です。「セ」は洗濯上手。「ソ」はすべてに掃除が行き届いている人。
次は「カキクケコ夫人」です。「カ」は家庭管理です。一言で言うと管理能力を持った人。「キ」は教育です。子供の教育を学校や塾まかせにしない人で、自分自身も色々なカルチャースクールなどに通い、生涯教育に励む人です。「ク」は工夫です。生活に必要な創意工夫のできる人です。「ケ」は計算です。税金、保険、年金計算など数字に強くなければならない時代になりました。「コ」は行動力です。積極的に社会活動に参加していく人です。
皆さんはどのタイプを選ぶでしょうか。

 

       
   

● こころのはなし(第79回)2006.08.01

  長い梅雨が明け、一気に強烈な太陽の光が照り付けます。
梅雨明け宣言があった前日の7月25日は会議のために高野山におり、午後から帰宅するために高野山駅に向かう途中、蜩(ひぐらし)がツクツクツクと鳴き深山の幽玄な趣きが感じられました。
 帰宅した26日は四国地方が梅雨明けと発表され、それと同時に境内のあちこちから油蝉が一斉に鳴き始めました。それからというものは連日の35度を越える暑さのために、衣を着けるわれわれは暑さとの戦いです。涼しそうに見える夏の衣といえども最低3枚の重ね着が必要です。肌襦袢、白衣、衣です。朝の勤行が6時半に終わり、自室に戻ると肌襦袢はもうびっしょりです。

 いよいよ8月1日からお盆の檀家巡りが始まります。本来は8月13日から15日の3日間でまわりますが、交通事情や檀家数によって朝8時から始まり、一日数十件の檀家の家々を巡り、お仏壇の前に正座して、その家の精霊を回向します。仏壇は平均してその家の奥まった部屋に祀られていますので、とにかく暑いのです。ですからこの頃はペットボトル持参で出かけますが、行く家、家で冷たいお茶を用意してくださいます。ありがたいのですが、これを全部いただいていると、お腹の調子が悪くなるので、前から、熱いお茶だけをいただくようにしています。ところが最近息子から、お父さんが熱いお茶を所望するから、息子さんも熱いお茶を飲んでくれるのだろうと、熱いお茶が出る。息子はこれに困り果てて、「お父さんが熱いお茶しか飲まないので、私まで熱いお茶が出て困っている」というのです。ですからこの頃はペットボトルを持参して途中で生ぬるくなった水を飲むことにしています。このようにお盆のお経が15日間続くのです。

お盆はインドから始まりました。正しくはサンスクリットでウッランバナと言います。仏教がインドから中国に伝わり、仏教経典が翻訳されました。そのときサンスクリットの発音を漢字に当てはめました。これを音写といいます。ですからウッランバナを盂蘭盆(うらぼん)としたのです。さらに盂蘭を取り、最近ではお盆というようになりました。

このウッランバナは「倒懸(とうけん)」と訳されます。「逆さに吊るされた苦しみ」という意味です。餓鬼道に堕ちた人は、逆さ吊りにされたほどの苦しみを受けるとされています。

経典に「盂蘭盆経」があります。それによれば、釈尊の十大弟子のお一人で神通第一とされている目連尊者という方がいらっしゃいました。ある時目連尊者は神通力で今は亡き母親と尋ねると、餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを知り、何とか母を救おうとして釈尊の教えを受けて、修行僧の行が終わる7月15日に修行僧たちに百味の供養を行いました。その結果、目連尊者の母は餓鬼道から救われたのです。お盆の行事は7月13日から15日の3日間行われますが、地方によっては月遅れのお盆、8月に行われたり、旧暦で行われるところもあります。盂蘭盆は要するに先祖の供養、亡き人々の供養のために行われます。

       
   

● こころのはなし(第78回)2006.07.15

 天気の長期予報を見ると7月20日までは梅雨マーク、この梅雨の合間に強烈な夏の太陽が否応無しに照り付けます。15日の気温が35度もありました。

 この暑さは法衣を着て歩く僧侶にとっては我慢大会のようで、着ている肌襦袢は直ぐに汗で濡れてしまいます。しかし、暑くても毎朝の諸堂における読経は欠かすことが出来ません。今朝も早朝5時から山門を開き、本堂不動明王の寶前で読経、世界平和と人々の安穏を祈り、続いて弘憲寺の鎮守である弁天堂を拝み、6時の鐘を撞いてから再び持佛堂と拝んでゆきます。持佛堂の本尊は真言宗の中心の仏である大日如来、ここには歴代の住職の位牌、弘憲寺の開基である讃岐の藩主生駒親正(いこまちかまさ)公夫妻の位牌や檀信徒の霊を祀り、更に先の太平洋戦争で亡くなられた霊と、7月3日の高松空襲で横死した方々の霊を祀っています。

 寺の境内に高さ17メートルの庵治御影石で作られた五重塔があります。この庵治御影石は御影石の中では最高の品質を誇ります。この五重塔は始め庵治の石工である5人の方によって手彫り造られ、大正天皇即位の御大典記念として皇居に建てられるはずでしたが、五重塔が余りにも大きすぎて輸送方法がなく、しばらく庵治の海岸にそのままになっておりました。

時が過ぎ、太平洋戦争で日本が敗戦し、戦後次々と戦地から兵隊さんの遺骨がお帰りになり、その遺骨が弘憲寺で遺族に引き渡されました。しかし、混乱のときでしたので引き取り手のないままお寺に百体余りの遺骨が残され、それを憐れんで先代の住職長尾義典僧正がその五重塔を大戦で亡くなられた方の供養塔にと発願し、建設費用を作るために筆舌に尽くせないご苦労によって昭和24年に完成を見たのです。この塔を平和塔と名づけました。
 

以来今日まで約60年にわたって供養を続けているのです。毎年暑い夏が来ると酷暑の南方で戦い、また極寒の地で飢えて亡くなり、戦病死した兵隊さんがどのような思いで死んでいったかを思いますと胸が痛みます。私は終戦時3歳でしたので戦争を知りませんけれど、悲惨な戦争であったことを胸に刻み、先代住職の意志を受け継ぎ、毎日供養の読経をすることが私の不戦の誓いでもあり、世界平和を心から願う意志表示でもあるのです。
 今年も戦後62年目の夏がやってまいりました。

       
   

● こころのはなし(第77回)2006.07.01

 6月27日に四国地区教誨師(きょうかいし)研修会が高松で行われました。この研修会の研修メインテーマは「時代に答え宗教教誨の原点を見つめて」副題として「互いの命に共感する宗教教誨をめざして」のもとに行われました。
 講師としてひょうご被害者支援センター理事・自助グループ六甲友の会世話人である高松由美子さんをお招きいたしました。演題は「犯罪被害者の現状について」です。
 高松さんの息子さん聡至(さとし)さんは1,997年8月、(当時15歳)は10人の少年により集団リンチで殺害されました。事件後加害者の10人の少年たちは全員が逮捕され少年院に送致されましたが、その遺族としての心の苦しみ、悲しみを時には涙を流しながらお話してくださいました。
聡至さんがなぜ殺されなければならなかったのか、殺された聡至さんはどんなに苦しんで亡くなったのか、怒りや憎しみが聞いている教誨師の私たちにまで伝わってきます。
この事件以後高松さん一家の生活が一変致しました。まず日常生活が手につかない、事件のことだけを考え悩む毎日のために、することなすことがちぐはぐになってしまう。そうしている中で高松さんは、加害者と会い彼らの口からなぜ聡至さんは死ななければならなかったのか真相を聞きたい。そこで事件の直後に加害少年の親を全員呼び、二つの約束をさせました。一つは加害者の少年が少年院を退院したらその日に謝罪に来ること、二つ目は毎年来る聡至さんの命日には顔をだし、近況を知らせることの二点を約束させました。加賀者の少年たちと会うと憎しみだけが増幅されるのではないか、遺族の感情からすれば当然のことです。その後一年八ヵ月後に全員が、少年院から退院いたしました。
その退院後、訪ねてきた少年たちは全く反省の色がなかったそうです。
高松さん夫妻は息子さんの死の真相を知るために10人の少年とその保護者を相手取り、損害賠償を求めて地裁に提訴いたしました。ところがその直後に加害者少年3人は集団暴行事件を起こし、逮捕されました。少年院に収容されている時本当に、懺悔し更正を誓ったかは疑問です。事件からはや9年が経とうとしています。最愛のわが子を殺された遺族が、憎しみ、恨み、極限まで苦しみその悔しさを抑えて加害者と対面することは、想像をこえた苦痛が伴います。高松さん夫妻は真に加害者が反省し、更正の道を歩んで欲しいと願っているのではないでしょうか。
高松さん夫妻は、一生涯心が晴れることはないと思いますが、この被害者の苦しみや命の大切さを被収容者に伝えていきたいと思っています。

       
   

● こころのはなし(第76回)2006.06.15

 平成17年5月18日に、参議院本会議において「刑事施設法および受刑者の処遇等に関する法律」が満場一致で可決されました。
 その結果、明治41年に制定された監獄法がこの新法によって大きく変わりました。その内容についてはいちいちここに書くことは出来ませんが、被収容者の権利や義務関係や職員の権限が明確になりました。
 現在日本の刑事施設は犯罪の増加とともに、過剰収容の状態にあります。その収容者のために教育的処遇日を設け、われわれ宗教教誨師の法話や写経などによって少しでも心情が安定するように、また更正に向けての色々な教育的な手立てを講じています。 

6月9日、その教育的処遇日に日本画家である南 正文(みなみ よしのり)先生(世界身体障害芸術家協会会員)を高松刑務所にお招きをして、800人の被収容者の前で講演をお願いいたしました。「出来ないこととしない事はちがう」という演題でおはなしが始まりました。

 南先生は1951年堺市で生まれました。小学校3年生の春休みに製材業を営む父の手伝をしていました。始めのうちは動力が回っているので緊張して手伝っていましたが、慣れてくると恐ろしいという感覚がなくなりました。その結果ちょっとした油断から両腕が機械のベルトに巻き込まれて失ってしまいました。
 
九分九厘助からないと宣告されましたが奇跡的に一命を取り留めました。しかし、それからの南さん苦しみが始まりました。
両手がないために何も出来ない。鼻の先が痒くてもかけない。トイレに行きたくても出来ない。ついに自殺をも考えたといいます。

14歳の時に近所の主婦から「京都に両手のない大石順教さんという尼僧さんがいる。口に筆を加えて絵や書を書く。そして多くの人を救っている」と紹介され、両親とともに大石順教さんを訪ねるのです。 
順教先生は「私の弟子になりたかったら、これからは絵を描きなさい。そして絵は口に筆を加えて描きなさい。そして大阪堺からこの京都まで一人出来なさい。この条件が守れるなら弟子にしましょう」と言われました。

堺から京都まで来るのが大変です。キップは胸のポケットに入れてもらい。近くにいる人に頼むのです。しかし、親切に買ってくれる人ばかりではない、「はじめから人を当てにして」としかる人がいる。無視する人もいる。色々な人に出会いました。
ところが順教さんは「よかった、よかった。キップを買ってくれた人も買ってくれなかった人もみんな大事な人なのだよ、先生なのだよ」と教えてくれました。

今まで出来ない、出来ないと思っていましたが、一つのことを何時間もかけて出来るようにする。例えばトイレに行くためにファスナーを下すための針金を工夫する。色々チャレンジして失敗もします。その失敗が次のことを教えてくれます。出来ないこととしない事とは違うと南さんはお話くださいました。
800人の被収容者は食い入るように南先生を見つめ、最後に先生が口に筆をくわえ、色紙に「出来ないことと しない事はちがう」と書かれ、職員が色紙を聴衆に向かって示すと800人の聴衆から「オー」というどよめきの声が上がりました。
先生の講演しているお姿を拝見していますと、先生が菩薩のように思えてきました。この講演を聴いたものが一人でも更正してくれたらという思いを持ちながら刑務所を後にいたしました。


       
   

● こころのはなし(第75回)2006.06.01

 このごろ頻繁に高速道路を使用するものですから、最近自分の車にETC装置をとりつけました。ETCとはノンストップ自動料金収受システム、車を止めずに有料道路の利用金を支払える機能のことです。今まではそれこそ有料道路の料金所で車を止め、通行カードを取り、次に有料道路を降りるときに料金所で料金を精算していました。料金所には集金する職員の方がいらっしゃって、通行カードと現金を渡すと「有難うございました」とお礼をいいますから、私も「ご苦労さん」とか「ありがとう」とほんの僅かな会話を交わして通行していました。

今度はETC装置を付けたお蔭で料金所をノンストップ通過してしまいます。通過するとき車を20キロ以下に減速して料金所を通過します。、ETC装置を感知して前方にあるバーが開いて難なく通過することが出来ますが、今まで何回も料金所を通過しましたが、バーが上がる間際までこのバーは本当に上がるのだろうかという不安が付きまといます。

さて、私はもう一つETCになって物足りないことがあります。それはETCが「ありがとう」というお礼を言わないことです。今まで現金を支払っていたときには料金所の職員が「有難うございました」とお礼を言いましたから、こちらもそれに答えていました。ごく短い会話であっても心が通うものがありました。
今は全く心が通わない。便利さゆえに人と人との縁が薄れていきます。これが今の世の「無関心さ」につながっているのでしょう。

この原稿を書いているときに、フットむかし読んだ事のある本の中に出ていた詩を思い出しました。その本は祥伝社発行の般若心経入門です。著者は松原泰道師です。
 この本の中に詩人谷川俊太郎さんの詩が出ています。

「急ぐ」        谷川俊太郎
こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々のうえを
時速二百キロで通りすぎ
私は彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない
この速度は速すぎて間が抜けている
苦しみも怒りも不公平も絶望も
すべて流れてゆく風景
こんなに急いでいいのだろうか
私の体は速達小包
私の心は消印された切手
しかもなお間にあわない
急いでも急いでも間にあわない
 
今の時代は急速な変化を遂げています。人間は便利なように快適に過ごせるように、能率的に目的が達せられるように生活していますが、時として非能率的な空間の中に身をおいて、ゆったりと生活することも必要ではないでしょうか。


 

       
   

● こころのはなし(第74回)2006.05.15

 前回ホームページ心の講話の中で、「四難の徳」のお話をいたしました。第一番目に人間としてこの世に生を受けたこと、とあります。四難の「難」は「ありえないこと」「なかなかないこと」の意味です。
  
人間としてこの世に生を受けたことは「なかなかないこと」という意味です。考えてみると本当にこの世に生を受けたことは「ありがたいこと」です。地球の誕生から35億年、初めてこの地球上に命が誕生し、その命が脈々と受け継がれながら私の命が誕生したのです。その頂いた命が成長し、やがて衰えていく、この世に存在する命はすべて生滅変化しているのです。しかし、私たちの命だけでない、すべて形あるものは生滅変化していくので、永久に変わらないものは何一つ存在しないのです。
 私の命、すべての命はただ一度だけのいのちです。その与えられたいのちを本当に生かさなかったら生きてきた甲斐がありません。前に宮越由貴奈ちゃんの詩を載せたことがあると思いますが、もう一度この詩をあじわっていただきたいと思います。

 長野子ども病院に長期入院している子どもたちは日々病と闘っています。この子ども病院に宮越由貴奈ちゃんが入院していました。神経芽細胞腫という病気です。由貴奈ちゃんは院内学級で受けた理科の授業で「乾電池の実験」を学んだ後に詩を作りました。
            

              「命」 宮越由貴奈(小学校4年)
             

              命はとっても大切だ
              人間が生きるための電池みたいだ
              でも電池はいつか切れる
              命はいつかはなくなる
              電池はすぐにとりかえられるけど
              命はそう簡単にとりかえられない
              何年も何年も月日がたってやっと
              神様から与えられるものだ
              命がないと人間は生きられない、でも
              「命なんかいらない」といって
              命をむだにする人もいる
              まだたくさん命が使えるのに
              そんな人を見ると悲しくなる
              命は休むことなく働いているのに
              だから、私は命が疲れたというまで
              せいいっぱい生きよう
            
      電池が切れるまで
            子ども病院からのメッセージ
             すずらんの会編 角川書店

由貴奈ちゃんは11歳で短い命を終えました。
由紀奈ちゃんは命の大切さを伝えるためにこの世に生まれてきたのだと思います。

平成16年の自殺者は32,325人です。阪神大震災の犠牲者が6,433人ですから自殺者は震災の6倍です。自殺率は世界一、毎日94人が自殺している計算になります。自殺者の年齢は60歳以上の人たちが第一位、次は50歳から59歳までの人たちです。
なぜ人生の経験豊かな人が自殺するのでしょうか?
自殺者の7割が「誰にも死にたい気持ちを相談していない」ということです。自殺の動機は一位が病気やアルコール依存症、ついで経済的な問題、生活問題、離婚など家庭問題と続きます。
 釈尊が2500年前に説かれた生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦八苦といわれる人間の苦しみの本質は、釈尊が説かれた時代から今日までなんら変わっていないのです。
真に変わらないのは「法」といわれる真実の教えしかないのです。
この真実の教えを釈尊や、弘法大師空海上人はお説きになられたのです。

       
   

● こころのはなし(第73回)2006.05.01

  この世で一番美しい言葉は「ありがとう」という言葉ですこの「ありがとう」を漢字で書くと、災難の難という字を書き、有るなしの有るという字を書いて「有り難し」と読みます。「ありえない」「なかなかない」ことという意味があります。 「なかなかありえない」から感謝の気持ちがそこに起こるのです。
 実はこの「ありがとう」というのは仏教の考え方を表す言葉です。「難値難遇(なんちなんぐう)」という言葉もあります。「値い難し(あいがたし)遇い難し(あいがたし)と読みます。また経典には「人身受け難し、今すでに受く、」とあります。
 このように本来「ありがとう」はこの世に生まれることの難しさ、また仏の教えにこの世でめぐり合うことの難しさをおしえているのです。
 
仏の教えの中に四難の徳があります。
1、 人間としてこの世に生を受けたこと。
2、 せっかく受けたこのいのちを大切にすること。
3、 そのいのちあるうちに仏と出会うこと。
4、 その仏から正しい教えを受けること。
の四つです。この世に人間として生まれてくることは容易なことではありません。そして今の一日をすべてのいのちに生かされていることのなんと有り難いことでしょうか。本当に「有難う」の一言に尽きます。

さて5月14日は母の日です。インターネットで調べてみると、母の日は一説によると古代ギリシャ時代に神々の母であるリーアに感謝するための春祭りから発祥したといわれています。母の日にカーネーションが選ばれたのは、母への愛の象徴だからです。カーネーションの赤を用いるのは花言葉が真実の愛、愛情、情熱などの意味合いがあるからかもしれません。またお母さんがすでに亡くなられている方は白のカーネーションを贈るといわれていますが、花言葉が尊敬、純潔の愛なので白になったのかとも思われます。

この母の日が日本で始まったのは何時ごろかと調べてみると明治の末期ごろ、1,915年(大正4年)に教会ではじまり、少しずつ一般に広がったと伝えられています。昭和に入ると3月6日を母の日としたようですが、頃日は丁度皇后様のお誕生日であったからだそうです。現在のようになったのは戦後のことで森永製菓が告知を始めたことがきっかけとなったようですが、バレンタンイやクリスマスなどみなキリスト教の行事ですが、純粋な信仰から始まった訳ではなく、商業ペースに乗せられて盛んになったのです。

なおアメリカでは1900年代のヴァージニア州が起源だといわれています。1905年に、アンナ・ジャビスという人の母親が亡くなり、母を追悼したいという気持ちから1,908年5月10日フィラデルフアの教会で白いカーネーションを配りました。これがアメリカで行われた母の日だそうです。この風習がアメリカの全土に定着し、1914年そのときの大統領ウイルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定しました。 http://www.hahanohi.info/origin.html

何時の時代でも自らを生み育ててくれた恩は計り知れないものがあります。
父母恩重経に「己れ生ある間は、子の身に代わらんことを念い、己れ死にいたる後には、子の身を護らんことを願う」とあります。親というものは一時も子どものことを忘れず、いつも子供を守ろうと心がけ、自分が死んだ後におよんでは子を蔭から護ろうと念うものです。

一億の人に一億の母あれど、わが母にまさる母ありなんや

誰が詠んだ歌かは分かりませんが、親に対する想いというのは何時の時代のも変わらないものです。
また「心地観経」に「母在ます時を日中となし、悲母亡き時を日没と為す。母在ますときは皆円満、母亡きときはことごとく空虚」とあります。
母を失った不幸ばかりは生涯取り返すことが出来ませんが5月14日母の日には、母に対する感謝の気持ちを表そうそうではありませんか。

       
   

● こころのはなし(第72回)2006.04.15

今年の開花予想が例年より早いという報道でしたが、お寺の開花は4月6日でいつもの年より大分遅咲きでした。13日現在で散り初めたところです。すでにところどころに青葉が出てきました。開花の間中雨が多く、また強風もが吹き黄沙(砂)現象で本堂の縁側などは真っ白です。本当は真黄色といったらよいのでしょうか。この黄沙現象は皆様もご存知のように、中国大陸北西部で黄色の砂塵が空を蔽(おお)い、ジェット気流に乗って日本に下降する現象です。
 私は20数年前、香川県善通寺にある弘法大師空海和尚がお生まれになった誕生所、総本山善通寺が募集した中国西安の青龍寺
参拝団に参加したことがあります。その頃の青龍寺は現在のように立派な本堂もなく一面の麦畑でした。麦畑の中に唐の時代に青龍寺があったという一つの石碑が建っているだけで、麦畑を見渡すと、建物といえば遠方に刑務所の塀が見えるだけのそんなところでした。その後青龍寺跡は中国政府の手で発掘調査が行われ、いくつかの遺跡が発掘されたと聞きました。 
幸いにも平成10年に再び西安を訪れる機会に恵まれ、同じ場所を訪れてみますと、景色が一変していました。見渡す限りの麦畑であったところが住宅や商店が立ち並び、青龍寺跡には日本の多くの篤信者によって建てられた見事な伽藍が出来上がっていました。
 二度の西安訪問でただ一つ共通していたことは黄沙現象でした。西安の町がどんよりと曇り、滞在中黄沙のためにただ息苦しかったことを覚えています。しかし、毎年日本でも黄沙現象のためにどんよりとした空模様になると、不思議に西安を思い出すのです。またこの黄土の砂塵が遠いタクラマカン砂漠や黄土高原から運ばれてくるのかと思うと何か懐かしさを覚えるのです。また空海和尚が密教を学ぶために長安(現在の西安)の青龍寺にご滞在されていた時も、黄沙のためにどんよりとした空模様であったのかと思いをはせるのです。
さて、平成18年は善通寺が創建されてから1,200年の年に相当いたします。善通寺は空海大師の父君、佐伯善通卿(さえきよしみつきょう)のお屋敷跡と言い伝えられております。境内にはお大師様が産湯を使われた産湯井戸もございます。この創建1,200年祭を平成18年4月29日から6月15日まで開催します。

関連行事としては
◎ 御影堂秘仏本尊・瞬目(ひめき)大師像特別ご開帳。
チベット密教結縁灌頂
◎ 善通寺薪能
 
展覧会
◎ 創建1,200年「空海誕生の地善通寺」展
◎ 「密教のほとけー曼荼羅・仏像・仏画―」展
弘憲寺の仏画「十一面観音曼荼羅」が出展されています。
講演会
◎ 立松和平講演会 「人の救いについて」

等など。
詳細お問い合わせは
郵便番号 765-8508
香川県善通寺市善通寺町3−3−1 総本山善通寺
TEL 0877−62−0111  
URL http://www.zentsuji.com/

       
   

● こころのはなし(第71回)2006.04.01

ライブドアの堀江前社長は証券取引法違反で逮捕され、いま東京拘置所に収監せれていますが、取調べを受けるにしたがって粉飾決算が明るみに出て、窮地に追い込まれています。
堀江社長の経営を見ると、何かマネーゲームのような感じです。
また勝ち組の象徴である六本木ヒルズに入り、時価総額世界一になると豪語していましたが、天国の生活から一転して奈落の底に転落してしましました。まさに砂上の楼閣のように一瞬にしてその栄華も潰えてしまいました。
 江戸時代の浮世草子の作者で俳人であった井原西鶴という人がいました。「好色一代男」や「好色一代女」などを著しました。その作品の一つに「世間胸算用」にこんな話があります。
 当時、長崎に京から下ってきた一人の小商人(しょうあきんど)がいました。生来頭がよく、勤勉で銭一銭無駄にしないで食事も外食もせず、極度に経営を合理化して、長崎に逗留している間女遊びもせず、枕元にソロバンと手日記を離さないほどで、20年間一生懸命働きましたが一向に金持ちにならない。
 その頃、同じ京の生糸や商で、長崎に下った人で大金持ちになり、今や番頭に長崎の店をまかせ、自分は京でのんびり風流な暮らしをしている人々が何人もいました。そこで彼は成功の秘訣を尋ねると、次のような答えが返ってきました。
「要するに、商売は商人心(あきんどごころ)がなくては絶対に成功しません。それは社会の動きを観察し、来年は値が上がると思ったら、大資本に任せて買いまくり、高値で売る、投機の心、一か八かの賭けごころです」というのです。
 井原西鶴はここで商人の心・投機の心を諸悪の根源どころか、商人の理想のこころがまえとして描いています。
 ライブドアの堀江前社長の欠点は次々と事業を拡大するまではよかったのですが、法を犯してまで儲けようと、世間を欺いき経営者として確たる正しい理念がなかったことです。
そこで、先ほど井原西鶴が言った「商人ごころ」という言葉はなんと真言宗のよりどころとする「大日経」に出てくるのです。
それによると「商人の理想は、正しい商行為(正しい商売)を通じて、世の中の人々の幸福を増進することである」と説いています。

今でも商売の神様といわれている松下電器の松下幸之助さんは「商売戦術三十三か条」に次のように書いています。
「商売は世に為、人のための奉仕にて利益はその当然の報酬なり」といわれています。
父の相場の失敗から9歳のときに奉公に出され苦労して世界のナショナルまで育て、商法の何たるかを身をもって体得された松下幸之助さんの珠玉の名言だと思います。


 

       
   

● こころのはなし(第70回)2006.03.15

 奈良の東大寺二月堂の修二会(しゅうにえ)のクライマックスである籠松明が始まりました。関西では二月堂のお水取りがはじまると春になるといわれています。東大寺は皆さまもご存知の通り、大仏(大毘盧遮那如来・だいびるしゃなにょらい)を本尊とする総国分寺として有名です。今は華厳宗の総本山ですが、もとは南都六宗(華厳・三論・法相・律・成実・倶舎)と平安2宗(天台・真言)の八宗の兼学の道場とし受けつがれた寺です。
特に空海は810年(弘仁元年)東大寺別当になられ、勅を奉じて真言院灌頂堂を建立し、現在でも東大寺真言院では空海を祀り、年に一度和歌山の高野山から僧侶方が出仕して、東大寺僧侶方と共に真言宗の所依の経典である般若理趣経をとなえてご法楽を捧げます。

さて、話を前に戻しますが、二月堂お水取りというのは3月1日より14日にわたって行われる修二会(しゅにえ)の中の一つです。私たちはお水取りというと籠松明(かごたいまつ)を欄干からかざし、火の粉を散らす行事と思っていますが、それだけではございません。修行のお坊さまたち(錬行衆)が修二会が始まる前からお堂に篭り、精進潔斎して修二会の準備にいそしみ、その中で私たちの目に触れるのは、松明を振りかざす時だけなのです。

この東大寺二月堂は開祖である実忠和尚が笠置山に参篭して、夢の中で十一面観世音菩薩が罪を悔い懺悔(さんげ)する行法を拝み、これを人間界に移して行おうとしたのが始まりだと伝えられています。すでに1200年も連綿と続けられている行事なのです。

東大寺の修二会は僧侶たちが自らの犯した罪を二月堂の本尊である十一面観音に懺悔して、そのときともに国の安泰と生きとしいけるものの幸福を祈るのです。
1日から14日までの夜、大きな松明が錬行衆によって二月堂の回廊で振り回され、回廊下にいる群衆の頭の上に火の粉が降り注ぎ、一年の厄除けを祈ます。
特に3月13日は修行僧(錬行衆)が夜中の一時過ぎに若狭井戸に下りて香水を汲み本尊である十一面観世音菩薩のご寶前にお供えをすることからこれを「お水取り」というのです。

この修二会が1200年もの昔から連綿として続き、東大寺のお坊さまが人々の安寧のために誰の目にも触れず、ひたすらに祈ってくださっていることは実に尊く有難いことです。お水取りがすむと本格的な春を迎え、またお彼岸をお迎えます。


 

       
   

● こころのはなし(第69回)2006.03.01

 弥生3月になりました。寒い寒いと言っていた2月とお別れかと思うとなにか心が弾む思いがいたします。今日檀家さんの家にお伺いしましたら床の間に桃の花がいけてあり、その華やかさに、春を実感いたしました。この3月の異称は沢山あります。例えば建辰月、花月、嘉月、桜月、花見月、春惜月、蚕月、称月などまだ異称は沢山あります。この弥生という和風月名は木草弥生い茂る月(きくさいやおいしげるつき)つまり草木がいよいよ生い茂る月の意味で、「きくさいやおいずき」がつまって弥生となったという説が有力だと暦辞典(柏書房)にあります。また「風雨あらたまりて草木いよいよ生ふるゆえに、いやおい月といふをあやまれり」という説明もあるそうです。
また今は「いやおいの約転。水に浸したる稲の実のいよいよ生い延ぶる意」とする説もあるそうですから、3月は何れにしろ草木が生長する月なのでしょう。
  
 この文章を書いて途中で庭に出て草木を観察してみると、なるほど緋寒桜は赤い蕾をつけていますし、蕗の頭はすでに成長して花を咲かせています。また他の木々も枝先から小さな芽を出していますし、自然の営みというものは凄いなと感心しています。
 あらゆる草木がいっせいに芽吹くころ、3月は真言宗の寺院にとっては大切な月なのです。それは弘法大師の正御影供(しょうみえく)があるからです。

正御影供と申しますのは、今から1085年前の承和2年3月21日の寅の刻、午前4時ごろに御年62歳をもって高野山にご入定(にゅうじょう)され、御法体を奥の院のご廟にお祀りして大師信徒は今なお生きてご活躍くださっている仏として、衆生をお救い下さっている弘法大師さまに信仰の誠を捧げて、現世安穏後生浄土のお祈りをしているのです。
お大師様のご入定をなぜ正御影供というのかと申しますと、「み影を奉安して生身供(しょうじんぐ)をお供えするからです。

この「お生身供」と申しますのは、お大師様は死んだのではなく、今なお生きませるおん身をもって、人々を助けるためにご苦労下さっているのだという信仰によるものです。しかもその正御影供の法要は延喜11年に醍醐天皇が弘法大師の謚号「しごう(おくりな)」を賜ったときから、これを永遠のきまりとして毎年奉修するように勅命がさがったときから行われるようになったのです。本山であります高野山はもとより、各地の寺院で正御影供を勤めるようになって現在に至っているのです。私の居ります高松では旧暦の3月21日に勤めますから今年は4月18日が旧暦の3月21日に当たります。

       
   

● こころのはなし(第68回)2006.02.15

 真っ白な椿が中庭に咲いたその日、父がなくなりました。93歳でした。平成10年に特別老人ホームに入り、約八年間ホームに入院していました。入院した理由は夜徘徊をするようになったからです。父はタバコを吸っていたもので火事が怖いからだと弟から相談がありました。私はなるべくならそのような施設に入れずにと思っていましたが、自分は四国の現在の寺に入寺し、父を引き取ることができません。ついに弟に面倒をかけることになりました。

 弟はこの八年間父親名義の土地を切り売りしながら父の入院費用を捻出しました。昨年弟から電話があり、「兄貴最後の土地を売却してもいいか、これが父名義の最後の土地だよ。承諾書を送るから記名捺印して欲しい」ということでした。弟は今まで私に対して一度も費用を出してくれといいませんでした。その分弟の負担が大きかったと思います。

私も上京するたびに実家に寄り父を見舞っていましたが、近年特に衰えがひどく、数年前から緑内障のために失明をしてしまい、暗黒の中の生活でした。また父の耳元で大きな声で私の名を言っても、頷くだけでした。自分は何もしてあげられない、父の白髪の頭を撫ぜるだけ、父が入院してしばらく経ったある日、「もう私は寺に帰れないのかな」と一言つぶやきました。
その言葉が訪ねるたびに思い出され、父に対するいとしさが胸に追ってくるのでした。

父は寺の長男として生まれ、昭和11年に高野山に登り修行し、
帰ってから召集を受け、横須賀海兵隊福田部隊に入隊しました。父は戦争のことはほとんど話しませんでしたけれど、一度だけ
私は戦地に赴くとき、乗っていた潜水艦がアメリカの軍艦から魚雷を受けたがお陰で不発だった、命拾いをしたよ」ということでした。終戦は中国の海南島で武装解除を受け帰国し昭和24年に住職になりました。以来50年余住職を務めて弟に住職を譲り、名誉住職となりました。

父は本当に物静かな人で兄弟みな怒られた記憶がありません。本当に穏やかな人で清僧そのものでした。しかし、一代で本堂を再建し、また寺の墓地を造成し多大な功績を残しました。戦後苦労して寺を維持し、私たちを育ててくださった父に何もしてあげられなかったことに悔いを残しますが、父のお位牌に中興の二文字を入れて感謝を表しました。

「寶泉寺中興権小僧正密道和尚不生位」

いま私の机の上に既に亡き母と一緒に撮った父の写真が置いてあります。
写真を見ていると走馬灯のように思い出がめぐってきます。
現在の心境はただ「お父さん有難うございました」というそれだけでございます。

       
   

● こころのはなし(第67回)2006.02.01

ライブドアの堀江貴文氏は、時代の寵児といわれていました。
寵児とは時流に乗ってもてはやされることをいいますが、若干33歳で時価総額、株価で換算すると一兆円を越す企業集団を率いていました。
いま勝ち組の人たちの象徴である六本木ヒルズ、に事務所を構え、次々と企業を買収し、たとえば高松に本社がある通販の会社のセシールはライブドアが700億円で買収いたしました。
ところが堀江社長は拝金主義そのもので、金さえあれば何でもできると勘違いし、その錬金術も法を犯してまで頂点に立とうとしていました。ですから彼は2004年に「稼ぐが勝ち」という本を書き、「誤解を恐れずにいえば、人の心はお金で買えるのです。女は金について来ます」と豪語しています。
彼は30億円のジエット機を持ち、キャシュカードもゴウルデンカード、プラチナカードの上を行く、ブラックカードを持っています。このカードはお金を使うのは無制限というカードです。
このように完全に金銭感覚が麻痺してしまっています。
若干33歳で頂点に上る前で、惨めにも東京地検特捜部に逮捕され、一夜の夢のように、一瞬にして栄華もつい潰えてしまいました。
このようなことを仏教では「天人の五衰(ごすい)」といいます。極楽で天人のような生活をしていても、天人でさえも時として地獄の世界に落ちることを譬えて「天人の五衰」といいます。たとえば歌手が歌がヒットし人気絶頂にありますが、いちど人気が衰えると誰も相手にしてくれない。これも天人の五衰です。
天人とは天衆ともいい欲界色界にすんでいる生命をもって存在するもの、生あるもの、古くは衆生と漢訳し、玄奘三蔵以後は有情と漢訳した。
その天界の衆生が寿命が尽きて死ぬときに示す五種類の特徴があります。これは倶舎論というお経に出てまいります。
天人の五衰には大の五衰と小の五衰があります。
大の五衰
衣服垢穢 衣服が垢でよごれる。
ずじょう頭上かい華萎 頭の華鬘がな萎えてしまう。
身体臭穢 身体がよごれて臭気を発する。
えき腋かかんりゅう下汗流 わきの下に汗が流れる。
不楽本座 自分の座席を楽しまない。

小の五衰
楽声不起 楽しい声が起こらない。
身光こつめつ忽滅 身体の輝きが急になくなってしまう。
浴水ちょしん著身 沐浴したとき、水が身体に付着してしまう。
ちょきょう著境ふしゃ不捨 まわりの光景に執着してしまう。
がんもく眼目すうしゅん数瞬 目をさかんにパチパチする。
この天人の五衰はどんなに有頂天(うちょうてん)に住んでいても必ず衰えることがあるの喩えに使います。
平家物語に、おごれる者久しからずただ春の世の夢の如し、たけきひとはついに亡びぬ偏に風の前の塵に同じ。とあります。
 
やはり世の中の正しい教え(法)を依りどころとし、規範をもととして正しく生きていかなければなりません。それが仏さまの教えです。
七仏通戒偈 七仏とは釈尊は七人目で、それまでの先人が代々実行してきた教え。
諸悪莫作  もろもろの悪をなすことなく
衆善奉行  もろもろの善を実行し
自浄其意  自らその心を浄くする
是諸仏教  これがもろもろの仏陀の教えである。

中国唐の詩人は白楽天  道林禅師
「三歳の幼児でも知っているが、八十歳の老人でも行う事は難しい」ということを説かれています。
幸せになるとは何か、物質に恵まれていることが幸せなのではありません。物質的に恵まれなくとも心豊かにいきることが本当の幸せなのだということに気づかなければなりません。

 

       
   

● こころのはなし(第66回)2006.01.15

つい先日新年をお祝いしたのにもう小正月の15日、近くの神社で1月15日はどんどん焼きがありますとポスターが貼ってありました。このどんどん焼きというのは正月に行われる火祭りの行事です。地方によってはどんどん焼き、さいと焼き、オンベ焼きなどと呼ばれています。正確には1月14日の夜から15日の朝、長い竹を何本か立て、注連飾りや書初めなどを持ち寄って焼きます。その火で焼いた餅や、みかんなどを食べればその年の病を除くといわれています。子どものころお寺では15日は小正月だからといって、柳の枝に紅白の小さな餅を沢山つけて仏間にお飾りをしていたのを思い出します。確か餅花といったように記憶しています。仏間に紅白の餅花が備えられると、華やかで何かうきうきした様な気持ちになったことが思い出されます。
昔から農耕民族はそうした節目節目に行事を通して季節を実感し、五穀豊穣を祈ったのでしょう。

また1月15日は奈良の若草山の山焼きです。この山焼きは一説によると東大寺と興福寺の境界争いを水に流すために行われたという説と、若草山の山上にある古墳の霊を慰めるためだとかいわれていますが、現在は病虫害を駆除することを目的としているようです。因みに山焼きの燃焼時間は40分ぐらいだそうです。
この小正月を過ぎればお正月気分ともおさらばです。また欲望の世界へ逆戻りです。

 私は13日の日に高松刑務所に赴き、今年初めての教誨に望みました。はじめは心新たにして、被収容者に般若心経の写経をしてもらおうと写経のセットを持参したのですが、みんなの前に立ち話し始めると終わらなくなり、ついに一時間話し続けました。
どのような話をしたかというと、般若心経の話です。
最近私は「生きて死ぬ智慧」と「いのちの日記」(小学館)という二冊の本を読みました。この二冊の本は柳沢桂子さんが書かれたものです。
柳沢さんはコロンビア大学大学院博士課程を修了、慶応義塾大学医学部分子生物学教室、三菱化成生命科学研究所に勤務しマウスを使った発生学において世界的に先駆ける成果を残しますが、原因不明の難病によって研究者として未来も人間としての希望も奪われます。病名すら特定されない絶望の日々。ついに寝たきりとなり尊厳死さえ決意するにいたりますが、奇跡的に抗うつ剤が功を奏しました。(生きて死ぬ智慧の帯封より抜粋)36年間の闘病生活の中で般若心経と出会い、般若心経の説くところの「執着を離れる」ということを、また空とは何かということを、身をもって体得されるのです。
人間は極限まで苦しまないと本当のことが分からないのかもしれません。

       
   

● こころのはなし(第65回)2006.01.01

皆さん明けましておめでとうございます。
何時も弘憲寺のホームページをご覧になっていただき厚く御礼を申し上げます。

年末は寺の行事が続くために年賀状が何時も駆け込みです。数年前までは印刷した年賀状に一言書き加えていたのですが、この頃はプリンターで印刷したものをそのまま送ってしまいます。
 自分宛に届いた年賀状に何も書かれていないとスーと見てそのまま仕舞い込んでしまいますが、頂いた年賀葉書が自筆で書かれていると、食い入るように読むものです。自分の葉書はただ出したというだけで何の愛想もない、それが分かっていながら毎年続けているのです。また息子に住職を譲ってもう7年にもなりますと、手紙もほとんど住職宛で、私宛はグット少なくなり世代交代を否が応でも感じずには居られません。
 しかし、お正月のお祝いだけは、昔ながらのしきたりで厳格にそれを守っています。息子たちは台所で毎日食事をしているように気楽にお祝いをしようと主張します。しかし、一度妥協すると
昔ながらの行事や作法は伝承されなくなります。
 簡略化するというのは確かに楽でいいのですが、何十年も何百年も受け継がれてきた日本の伝統の良さは失われてしまうのです。
 お寺の正月のお祝いは家族全員がそろうと言うことを基本といたします。お祝いのお膳に着く前に、諸堂の仏様にお給仕をしなければなりません。仏様には仏さま用のお祝いのお供えが用意されます。仏飯の器に3センチ角ぐらいの餅を入れ、その上に大根を薄切りにして載せ、それに昆布を小さく切ったものを振り掛けてお供えするのです。そのほか三宝に季節の野菜や、乾物を載せお供えいたします。それを三が日毎日取り替えてお供えするのを慣わしとしています。
仏さまのお給仕が済みますと、家族のお祝いになります。床の間に讃留霊王神の掛け軸を掛けます。讃留霊王とは讃岐(香川県)の神様です。
この神様は、日本武尊の第三番目の王子です。因みに岡山県の吉備津姫は日本武尊の奥さんです。
その昔、瀬戸内海を荒らしまわっていた大魚を讃留霊王が退治しし、人々の難儀を取り除きました。退治した大魚を引き上げましたが、それが腐敗したのかその毒気に当たって讃留霊王はじめ八十八人の家来たちも倒れてしまいました。そこで山から流れ出る清水を全員に飲ますと息を吹き返しました。現在その清水が湧き出る場所が八十八(やそば)という地名で残り今でも清水がコンコンと湧き出でています。現在その場所でトコロテンが売られ、八十八(やそば)のトコロテンとして有名です。
 後に讃留霊王が亡くなり、塚を建てて祀り、その脇に法勲寺(ほうくんじ)が建ちました。それが白鳳時代のことです。この法勲寺こそ現在の弘憲寺の前進です。時は経て、戦国時代に秀吉の中老職にあった生駒親正(いこまちかまさ)公が讃岐の藩主になり、その子一正(かずまさ)が親正公の没後、法勲寺を現在の高松に移し、弘憲寺と名を改めて現在に至るのです。
この間歴代の住職が、営々と続けてきた仕来たりを私の時代で変えることはできません。まだこの先何代も続くであろう寺の伝統と格式は守っていかなければなりません。今年も粛々とこのお正月の仕来たりを守っています。

     
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