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心の講話


■ 心の講話バックナンバー 2005年分
     

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● こころのはなし(第64回)2005.12.15

平成17年も残すところ二週間余りになりました。お寺では22日に冬至祭が行われます。護摩の修行をして来年の吉祥を祈るのです。この日は前日から檀家の方や信者さんが、たくさんのカボチャを調理し、それを大釜で炊き、翌日の冬至の日に不動明王のご宝前にお供えして参拝した方々にお接待いたします。
 昔から冬至にカボチャを食べると中風にならないといわれています。今はマーケットに行きますと、新鮮な野菜が沢山並んでいますが、昔は豊富に野菜がなかった時代です。どうしてもビタミンや鉄分などが不足してしまいますから、先人の知恵で不足するカロチンやビタミンをこの時期に補給する意味があったのではないでしょうか。また冬至にはおそばを食べる風習があり、参拝するすべての人にお接待いたします。寺はこの冬至が一年で一番賑わう時です。中国ではこの冬至のとき柑橘の金柑を食べたり、鉢植えの金柑を買い家に飾る風習があります。金柑もビタミンの補給の意味があるのでしょうが、もうひとつは金柑が金がなるという福財をイメージするからです。
 弘憲寺では二ヵ月をかけて金銀融通守りという護符をつくります。このお守りは寺独自のオリジナルで、お金が融通できるというお守りです。他には一切効力がありません。ところがこのお守りは来年の恵方の方に向けて貼りますが、貼るときが限られています。冬至の夜12時、大晦日の夜中12時、春分の日の夜中12時だけに貼らなければいけません。購入した人にノルマがあるのです。
こうした行事が終わってからやっと年賀状を書かなければいけないという慌しい年末です。

諺に「時人を待たず」という言葉があります。時間は私たちの生活に関係がなく流れていきますよ、という意味です。
今まで歩んできた自分の人生を振り返ってみますと、アッという間に過ぎ去ってしまったという思いを強くいたします。また歳をとるごとに一年が早く過ぎていくように思われます。そうした中で私の残されている人生で一番の願いは何かというと、心安らかな一生を送りたいなということです。安らかな一生というのは何もしない、何もないという消極的な生き方ではありません。
心安らかな生活を送るために目標を立て、その目的のために努力をすることです。「一年の計は元旦にあり」と言いますが、これは自分がこの一年このように生活をし、充実した人生を送ろうと言う目標設定です。

わたしの心安らかに生活するための目標は「七仏通戒偈」です。
諸悪莫作     もろもろの悪をなすことなく
衆善奉行     もろもろの善を実行し
自浄其意     自らその心を清くすること
是諸仏教     これがもろもろの仏の教えである
この七仏通戒偈は中国・唐の詩人で白楽天(白居易)が道林禅師に会って、「仏教というものはどんな教えですか」と尋ねた時、この七仏通戒偈を示されました。すると白楽天は「そんなことは三歳の幼児でも知っている」と笑いました。ところが禅師は「三歳の幼児でも知っているが、八十歳の老人でも行うことは難しい」と答えました。もろもろの悪をなすことなく、もろもろの善を実行する。そして自らのこころを浄くする。これを実行することは大変難しいことですが、いつもこのことを心にとどめ努力していきたいと思います。

       
   

● こころのはなし(第63回)2005.12.01

11月29日30日の二日間、兵庫県須磨区にある大本山須磨寺で全真言宗教誨師大会が開催されました。全真言宗というのは高野山真言宗、真言宗東寺派、真言宗醍醐派、真言宗大覚寺派、真言宗御室派、真言宗泉涌寺派、真言宗善通寺派、真言宗智山派、真言宗豊山派などの代表する本山があります。これらの宗派に属している教誨師は刑務所、あるいは少年施設に出向いて、被収容者の更正のため教誨(きょうかい)活動を行っています。教誨というのは更正に向かっての導きです。ですから施設におもむいて心の話や、心の悩みを聞き指導したりいたします。この全真言宗教誨師大会というのは上記の真言宗各派に所属している教誨師の研修大会です。

この研修会大会が行われた須磨寺(すまでら)は真言宗須磨寺派の本山です。仁和2年(886年)といいますから、今から1119年前に聞鏡上人が勅命を受けて、聖観音を本尊として奉祀したのがはじまりで、正式には上野山(じょうやさん)福祥寺といいます。
古くから「須磨寺」の名前で親しまれています。

須磨寺で有名なのは平家の平敦盛(たいらのあつもり)の首塚があり、源平ゆかりの寺として有名です。境内には芭蕉の句碑、「須磨寺やふかぬ笛きく木下闇」がございます。
平敦盛は平安末期の武将で参議経盛の子。一谷の戦いで熊谷直実に打たれました。そのとき敦盛は年十六、七ばかりであったそうです。そして容顔まことに美麗の公達であったそうです。
また敦盛は横笛の名手でありました。名勝一谷須磨の海岸で討ち死にするまで青葉の笛を肌身離さず身につけていたということです。その青葉の笛は現在須磨寺の宝物館に収められています。

皆さんは「青葉の笛」という唱歌をご存知でしょうか。明治39年尋常小学唱歌[敦盛と忠度(ただにり)]として知られています。一番は、討ち死にの直前に「青葉の笛」を心ゆくまで吹いたという平敦盛、二番は出陣の前夜、「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵のあるじならまし」という歌を師に届けた平忠度の悲劇を描いた歌といわれています。青葉の笛を紹介いたしましよう。
1  一の谷の軍(いくさ)破れ
討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
暁寒(あかつきさむ)き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛
2  更(ふ)くる夜半(よわ)に門を敲(たた)き
   わが師に託せし 言(こと)の葉あわれ
   今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵(こよい)」の歌

なんと美しくもの悲しい歌でしょうか、ちょうど研修の合間をぬって須磨寺の管長様のご配慮で、須磨寺に伝わる一絃琴(いちげんきん)を鑑賞する機会を頂きました。演奏してくださったのは
須磨寺の先代住職の奥様を中心に5人の師範の先生方です。
一絃琴は在原行平が須磨の地に流された時に創始した琴。一枚の板の上に一本の絃を張っただけの素朴な楽器です。
その音色は素朴で、初冬の澄み切った空気に溶け込み、お堂の御香の香りが流れ、若くして散った平家の公達をお慰めするかのように静に心打つ演奏でございました。
境内は紅葉が美しく、美しい演奏とともにこころみたされた一日でございました。


 

       
   

● こころのはなし(第62回)2005.12.01

心のページを11月15日に内容を変えようと思いましたが、1週間も遅れてしまいました。お詫び申しあげます。

今月の16日に兵庫県淡路島七福神霊場の大黒天のお寺であります八浄寺で淡路檀信徒(だんしんと)大会と50年振りに血縁灌頂(けつえんかんじょう)が開かれました。

始めの檀信徒大会は淡路島にございます高野山真言宗寺院の檀信徒の総代をしている役員の人たちが集い、セレモニーの後で私が「仏さまの心」という演題で記念講演を1時間させていただきました。

この大会が終りますと結縁灌頂が開筵(かいえん)されます。結縁灌頂と申しますのは真言秘密最上の教えです。灌頂というのは頭の頂きに水をそそぐということです。
 むかしインドで一国の皇太子が王位につくとき、その皇太子を金銀で飾った立派な白象の座に座らせまして、その周囲に大きな幕を張り巡らし、綺麗な幡(はた)を立て並べ、香りのよい香を焚き、美しい花を散らし、音楽を奏でながら、東西南北の海から汲んで来たところの海水を金瓶に入れて置きます。
王様はその瓶をとって皇太子の頂きに四海の水を潅ぎますと、それで即位式が終わります。これが灌頂の始まりです。

また釈尊がルンビニー園でご生誕になられたとき、天の竜王が人類の救世者であるブッタの降誕を祝福して、甘露水(かんろすい)をふらして釈尊のお体に潅いだと伝えられています。そのことから4月8日の花祭りには御堂をつくってその中に誕生仏を安置して、甘茶を潅ぐようになりました。これも灌頂の儀式が取り入れられました。
 お弘法大師様が伝えられました真言密教の灌頂はもっとも意義深い神秘的な宗教儀式でして、インド、中国、日本と三国にわたり代々の祖師が嫡々相承(ちゃくちゃくそうじょう){正統の教えを受け継ぐこと}して今日まで伝えられました。

この灌頂を受けることによって人間がみな持っている五欲、物が欲しい、男女間の性欲、食欲、名誉を求める欲、眠りたい欲、この五欲が大日如来によって清められ、凡夫の身体のままで仏の位にのぼることが出来る儀式です。

この血縁灌頂は誰でもが受けることができます。結縁とは読んで字の如く、縁を結ぶことです。自身が仏になろうという心をおこし、老若男女の別なく、だれでもが入壇して曼荼羅の中の仏様とご縁を結ぶことができます。どのような縁を結ぶのかといいますと、私たちは大宇宙の生命を受け継ぎながら私の生命まで受け継がれてきました。大日如来という仏さまはこの大宇宙を仏格化した仏さま、言い換えると大宇宙がそのまま大日如来という仏なのです。その大宇宙の構成要素(六大といい地、水、火、風、空)を私たちも動物も植物も兼ね備えています。いいかえれば大宇宙(大日如来)に対して私たちは小宇宙です。マクロに対して私たちはミクロなのです。
ようするに大宇宙が大日如来という仏なので、私たちは仏の子です。それをこの結縁灌頂という儀式でははっきりと自覚させてくださるのです。
春秋の彼岸に和歌山県高野山の金堂で結縁灌頂は開かれます。一度参加されてはどうでしょうか。


 

       
   

● こころのはなし(第61回)2005.11.01

尸迦羅越六方礼経(しからおつろっぽうらいきょう)という経典があります。後漢の安世高の訳です。このお経は長阿含善生経(ちょうあごんぜんしょうきょう)の訳本です。
 普通このお経は善生経といい、経典の内容から六方礼経(ろっぽうらいきょう)といっています。

あるとき善生童子が、バラモンの教えにしたがって意味がわからないまま毎朝身体を清めてから六方を礼拝していました。
 お釈迦様はこれを見て、仏の教えにもとづいて六方を礼拝する意味を説いたのがこのお経です。
 ここで少しバラモンについて説明をいたしましょう。バラモンとは祭司者をいいます。インドのカースト(階級制度)の一つです。またバラモン教といってインドのバラモン階級を中心として発達した民族宗教の一つです。ヴェーダを宗教聖典として、バラモン(司祭者)中心の階級制度を規程し、祭式を尊重し、神々の讃嘆、供養などをもって天に生まれることを願う宗教です。

この善生童子はバラモンの教えである六方を礼拝する事を続けていたのですが、お釈迦さまは仏教の教えで、六方を礼拝することはどのようなことなのかを説いたものが六方礼経なのです。

その六方を礼拝するという事は、まず父母を東方といたします。
師を南方といたします。妻を西方といたします。親族を北方といたします。自分を支えてくれる人々を下方といたします。祭司をつかさどる人を上方といたします。このように六方を礼拝すれば、
死して生天するだろうと説いています。

この六方礼経に次のような言葉があります。
「次ぎの四種の友はこころよきものと知るべし。
すなわち、力ずよきたすけとなるもの、
喜びにも苦しみにも、常に変わらざる友、よき言葉を語る友、
同情ある友など、これなり。」

よく「類は友を呼ぶ」という諺があります。その人と同じようなレベルの人があつまってくるということでしょう。ふだん交際している仲間がどのような人かである程度、人物評価ができるのではないでしょうか。

2002年8月に千葉県松戸で小型モーターの世界的なトップメーカーであるマブチモーターの社長宅で妻子が殺害され放火された痛ましい事件がありました。二人の自白によると、1989年殺人事件で服役中に知り合い、「刑務所にいるころから資産家を狙っていた」と供述しています。まったく類は友を呼ぶで、なんとおそろしい相談をしていたのでしょう。

私たちの一生の間に数多くの友を持ちます。しかしお互いが高めあうような心の友は何人いるでしょうか。昔から「順境は友をつくり、逆境は友を試みる」といいますが、艱難に(かんなん)にあったときにかけつけ、励ましてくれる友は本当に少ないものです。

孔子は付き合ってためになる人、ならない人、それぞれ三種類づつあげています。
「剛直な人、誠実な人、教養のある人、これは付き合えばためになる。
易(やす)きにつく人、人当たりばかりよい人、口先ばかりうまい人、これは付き合ってもためにならないと言っています。(論語)この孔子の言葉がよき友を選ぶ一つの基準になるのではないでしょうか。

       
   

● こころのはなし(第60回)2005.10.15

13日に高松刑務所の運動会が刑務所内の運動場で行われました。教誨師をしている関係から毎年運動会に招待されます。
13日は晴天に恵まれ、紺碧の空の下、午後1時に入場行進が始まりました。
 入場門から一糸乱れぬ統制の取れた選手達(被収容者)が、マーチに乗って行進してきます。先頭に立つ者が班旗を持ち整然と居並ぶ中、それぞれの班別の選手達が班旗のもとに整列いたしました。この班別の構成はどのように決めるかと申しますと、刑務所の施設の中には工場があります。
 収容されている者は必ず就労しなければなりません。そして当然その報酬を受けます。
第1工場は石材関係の仕事をしています。香川県は有名な庵治御影(あじみかげ)が産出されます。その関係からか施設の中には石材加工の工場があります。石灯籠・石碑・墓石類などの石材加工製品の製作をいたします。

第2工場は折込公告・各種書類・文芸誌などの印刷、製本などを行います。

第3工場は衣類と枕の制作。

第4工場は作業衣の制作

第5工場、第6工場は手提げポリ袋の制作

第7工場は下着類の制作

第8工場は丸盆・菓子器・茶たくなどの讃岐漆器製品の製作

第9工場は金属・溶接加工製品・木工製品加工など

第10工場は書籍・洋服タンスなどの木工家具の製作

11工場から13工場までは紙加工製造・化学製品製造をいたします。このほか洗濯工場があり所内生活に必要な衣類や寝具などの洗濯や修理作業を行っています。刑務所の中にこのような多くの工場があるなんて信じられないと思います。
 またこの他建物などの保守・保全などの建築家・左官科の職業訓練などを施します。このように実にきめ細かに更正のための職業訓練などを行っています。このような行政的配慮は日本の刑務所が一番充実していると思います。
それぞれの工場で造られた製品はキャピックという商標名で販売しています。
 身近なところでは各県にある矯正施設で矯正展として手ごろな値段で販売をしています。こうした矯正展は矯正行政の現状を一般市民の方々に理解していただくために「社会を明るくする運動」に一環として開催しているものです。
もし皆さんのお近くにこのような催しががありましたら是非お足を運んでいただきたいと思います。

       
   

● こころのはなし(第59回)2005.10.01

「日々是好日」という禅語があります。このことばは約千年前に
雲門禅師というお坊さまが碧厳録(へきがんろく)を著しました。その中のことばです。よく床の間の掛け軸や、色紙にかかれているのを目にいたします。
このことばが人々に親しまれるのは、今日もよい日でありますようにという意味を汲み取るからだと思います。
ところがこの日々是好日ということばはごく平凡に聞こえますが、一つの悟りの境地を言い表しています。

私たちは一生の内ですべてが幸福であつた、災難も無く苦しい事も無く、順風満帆の人生だったと思える人はまずいらっしゃらないと思います。時の移ろいの中では喜怒哀楽があり、苦しみもあり、不幸な事も起こります。そうした色々ある人生の中で全体を観察し、真理、道理を見極め、何事にも同じない心境にいたり、日々是好日、日々是平安と達観するまでになるまでにはよほどの修行と信念が無ければ至らない事です。なぜ私たちは今日無事、日々是好日と生きていけないのでしょうか。

それは欲望が強すぎるからです。「私が、俺が」という自我が強すぎるからです。そして自我に執着し(執われ)、何でも自己中心に物を考えるようになります。そこに欲が起こるのです。欲望はいくら満たしてもそれで解決する事はありません。むしろ満たされるほど人間は貪欲になるのです。

昔から人生の書といわれる中国の菜根譚に次のようなことばがあります。

 「滅亡して廃墟と化した西晋(せいしん)の都は、茨(いばら)がぼうぼうと生い茂っている。それを目のあたりにしながら、それでも人々は戦いをやめようとしない。やがて死ねば北忙(ほくぼう)の墓地に葬られて、狐や兎の餌食となる運命にある。それを知りながら、それでも人々は利益にこだわり続ける。」

 古語にも「どんな猛獣でも飼いならせるが、人の心だけは始末におえない。どんな深い谷間でも埋め尽くせるが、人の心だけは満たせない」とあります。
まさに菜根譚は人間の欲望だけは際限が無く、満たすことが出来ないといっています。
今の世の中は欲望だけが突出している世界です。この人間の欲望を抑えない限り人類は破滅の道を歩む事になるという事に気が付かねばなりません。

       
   

● こころのはなし(第58回)2005.09.01

9月13日高知文化プラザかるぽーと大ホールに近松門左衛門原作の曽根崎心中の舞台を鑑賞に行ってまいりました。このフラメンコ曽根崎心中はプロデュースが阿木耀子さん、音楽監修・作曲が宇崎竜童さんです。主演振り付けがフラメンコの第一線で活躍する舞踊家であり振付家の鍵田眞由美さんがお初の役です。
また徳兵衛役に日本のフラメンコを牽引する舞踊家であり振付家の佐藤浩希さんです。

この舞踊団に毎月第一日曜日に行っている弘憲寺密教禅塾の会員にフラメンコをしている女性が参加しています。彼女はスペインにフラメンコを勉強するために留学している時に、昨年の3月にフラメンコの殿堂であるフェステバル・デ・ヘレスでこの曽根崎心中の公演と出会いました。彼女は感動して帰国後すぐにこの舞踊団のオーデションを受け、今ではこの舞踊団には無くてはならない1人です。彼女はこのフラメンコ曽根崎心中の群舞を担当しています。その彼女からご案内を頂きました。

パンフレットには鍛えぬかれた肉体と表現力で、統制美を実現しながら一人一人の個性が光る実力派集団と評価されています。

ストーリーは3幕からなっています。筋書きは次のようです。
醤油屋平野屋の手代・徳兵衛と天満屋の女郎・お初は、将来を誓い合った恋仲。だが、徳兵衛の主人は、商売熱心な徳兵衛と義理の姪との結婚話を進めていた。主人は、快い返事をしない徳兵衛に業をにやし、徳兵衛の継母に二貫目の金を渡し話しをつける。それを知った徳兵衛、自分の妻はお初しかないと、継母のもとに駆けつけ、やっとの思いで金を取り戻した。
 その帰り道、徳兵衛はばったり会った親友九平次に、金を貸して欲しいと懇願される。友の大事に、徳兵衛はやむなくその金を貸す。だが、約束の日を過ぎても、九平次は金を返しにこなかった。
一方お初にも、身請け話しが持ち上がっていた。それぞれの運命に追い詰められた二人が、久しぶりに生玉本誓寺で再会する。会えない辛さを言うお初、無沙汰をわびる徳平衛。だが、求め合う二人の心は一つだった。(プログラムよりの抜粋)数々の運命に翻弄されながらついに二人は店を抜け出し、天神の森へと向かう。
そして、あの世で夫婦となることを固く誓い合い、心中を果たしたのだった。
 この三幕からなるストーリーをフラメンコ音楽にのせてギター、シンセサイザー、カルテ、パルマにさらに琵琶、和太鼓、篠笛などを加え、全編にわたって日本語の歌詞を用いて、鍵田眞由美さんと佐藤浩希さんのフラメンコによって、徳兵衛、お初の悲恋を情熱的にあるときは激しく、また運命に翻弄され苦しむ心情を切々と画いていく。私の知る範囲ではこのような見事な舞踊劇は見たことがありません。

この舞踊団の表現力とテクニックを備えた踊り手たちの今までの努力は並大抵の物ではなかったと思います。フラメンコの基礎を確りと学び、そのうえに修練と忍耐力を持って今日の舞台があると思います。だから多くの人を感動させ心をつかんで離さないのだと思います。今回、素晴らしい舞台を堪能させて頂き、多くの事を学ばせていただきました。
 
 

       
   

● こころのはなし(第58回)2005.09.01

七十二候は中国の民が一年の自然現象、草木、作物、虫などを観察し、一年を七十二に季節を表現したものです。
ちょうど9月の2日から7日頃までを、禾乃ち登る(か、すなわちのぼる)と表現しています。禾とは稲のこと、登るとは成熟することをいいます。ちょうど9月の今ごろは稲や粟が実る時期なのです。この頃になると台風がよくやってまいります。

9月の末には台風11号、12号とほぼ同時にやってきて、11号は東海、伊豆房総半島を直撃いたしました。また13号は8月の27日に発生して沖縄から中国大陸に向かっています。
11号の台風は久々に四国を直撃して、大雨を期待したのですが、一向に雨が降りません。その結果、四国の水が早明浦ダムは
貯水量が減る一方です。8月の18日に甥の2人が水不足を心配して、神奈川県藤沢から丹沢の名水をポリタンク18個、車に積んで高松の弘憲寺まで届けてくれました。また東京の知人から山梨の尾白の水という名水を託送してくださいました。本当にありがたいことです。何とかこの危機を脱したいものですが、
この讃岐は昔から水不足に悩まされてまいりました。お蔭で水を確保するために溜池を掘り農業用水といたしました。その溜池の数は現在16、158にも及びます。
 
讃岐、香川県で代表される溜池はなんといっても周囲23キロにも及ぶ満濃池です。この満濃池は文武(もんむ)天皇の時代(683〜707)、国守(くにのもり)道守朝臣(みちもり あそん)によって初めて造られました。初めは真野ノ池といいました。

元来、この地方は水利の便が悪く、いつかも晴天が続けばたちまち旱魃となり、三日も雨が降れば洪水になるという厄介な土地であったようです。そこで道守朝臣はこの地方の農民の苦しみに同情し、ここに貯水池を築いたのです。しかし、しばしば堤防が決壊し、そのたびに多額な費用と使役を必要としました。

ところが、弘仁9年の夏に至って、堤防の大決壊があり、国守は直ちに復旧工事に取り掛かりましたが、その一方根本的な改修工事の必要を認めたので、築池使の派遣を朝廷に願い出たのです。
ところがそれでも工事は一向に進まず、ついに国守、郡守らと相談の結果、この工事を指揮するのは弘法大師空海和上以外にないとの結論に達し、朝廷へ願書をもって届けでたのです。

それが有名な「伝燈大法師位(でんどうだひっしい)空海を万農池を築く別当に宛てんことを請(こ)う状」です。
この願書は「日本紀略」に次ぎのようにあります。

「讃岐国言(もう)す。去年より始めて万農池を?(つ)くも、工(わざ)大にして民(たみ)少なし。成功、未だ期せず。
僧空海は此の土(くに)の人なり。山中に坐禅せば、獣(けもの)馴(な)れ鳥狎(な)る。海外に道を求め、虚しく往(ゆ)きて実(み)ちて帰れり。茲によって道俗は風を欽(ねが)生徒(しょうと)は市をなし、出ずれば則ち追従するもの雲のごとし。今旧土をはなれて、常に京に住す。百姓(しゃくせい)、恋慕すること父母のごとし。もし師来ると聞かば、必ず履(くつ)を倒(さかさ)にして相迎せん。伏して請う、別当に宛て、その事を済ましめんことを。これを許す。」
この願文を見ると、いかに空海が民衆から敬慕されていたかが分かります。この空海の人望が多くの人々を集めて僅3ヶ月で完成を見るのです。

       
   

● こころのはなし(第57回)2005.08.15

暑い暑いといいながら8月15日を迎えました。もう一月も讃岐は雨が降らず、四国の水がめ早明浦ダムが18日には水が底をついてしまいます。その結果18日からは夜間断水が始まります。

ちょうど新暦の八月の13日から17日頃を暦の七十二候では「涼風至る」と表現しています。涼しい風が立ち始める時節です。8月18日から22日頃を昔の人は「寒蝉(かんぜみ)鳴く」と表現しています。寒蝉とはひぐらしのことです。また秋に鳴く蝉のことをいいます。むかしはクウラーも無い、冷蔵庫も無い時代に季節の移ろいを肌で感じ季節感を言葉で表現していたのでしょう。讃岐は連日の猛暑、毎日うだるような暑さの中、お盆の檀家まわりに走っています。今の感想は只々一雨来るのを祈っています。

今日8月15日は60回目の終戦記念日です。先の太平洋戦争の戦没者は310万人、また空襲などによる一般市民の犠牲者は50万人といわれています。終戦から60年が経った今も心身ともに傷付いている人がいるということを忘れてはいけません。

私の寺には香川県庵治産出の庵治御影石でできた高さ17メートルの世界一大きい五重塔がございます。
前住職長尾義典僧正が心血を注いで昭和24年に建立したものです。
この五重塔は大正天皇即位の御大典記念に庵治町の石工5人によって石鑿(のみ)と金槌だけで5年の歳月を掛けて作り上げたものです。五重塔の各層には天女の透かし彫りがあり、この技術を持っている人はもういないと聞いています。
この塔が完成し、はじめは皇居に建てることを希望したようですが、当時は高松から東京まで何百トン、何千トンあるかわからぬ塔を運ぶ輸送手段がありませんし、聞くところによると宮内庁から断られたとも聞いています。
この五重塔はそのまま建てられることも無く、庵治の海岸にそのままになっていました。その後太平洋戦争がはじまり、五重塔は忘れられていました。そして広島に原爆が投下され10数万人の命が奪われました。原爆によって奪われた多くの命の慰霊のためにこの五重塔を建てようとしましたが実現しませんでした。

終戦の年は全国各地混乱を極めていました。そのような時に、戦地で戦い亡くなられた四国出身の戦没者の遺骨が高松港に帰ってきました。高松は昭和20年7月4日の空襲のため灰燼にきしましたが、幸いにも弘憲寺は空襲の難を逃れました。高松港に帰った戦没者の遺骨は一旦弘憲寺に安置され、一霊一霊と遺族のもとに帰っていきました。しかし最後に百体余りの遺骨が寺に残されたのです。

義典僧正はこのことを悲しみ、異国の地で戦い亡くなられた方々を慰霊しなければいけないと思い立ち、庵治海岸に放置されていた五重塔を寄付していただき、物も何も無い時に苦労して建設資金を作りました。義典僧正は建立資金を得るために、人から誹謗されながらも阿波踊りを呼んで入場料を徴収しその資金を作り、また芸人を頼んではその収益を建設資金に当てていきました。

そのような苦労の末、昭和24年どうやら五重塔は全容をあらわし、この五重塔は戦没者の慰霊塔として、また二度と愚かな戦争をしてはいけないという願を込め、平和塔と名づけました。
以来今日まで先の住職の意志を継ぎ、毎日欠かすことなく慰霊を続けていますが、60年という歳月は年代わり、人代わりして戦争のことは風化しつつありますが、戦場で多くの命が失われ、また本土空襲のため亡くなられた方や、まだ先の戦争のため心傷つき、苦しんでいる人がいる事も忘れてはならないと思います。

       
   

● こころのはなし(第56回)2005.08.01

前回はお盆のお話しをいたしました。お盆とはサンスクリットで
ウラバンナーといいます。漢訳すると倒懸(とうけん)といいます。逆さに吊るされた苦しみという意味です。このウラバンナーが盂蘭盆(うらぼん)となり、お盆となったのです。

逆さに吊るされた苦しみとはどのような意味なのでしょうか。餓鬼の世界、は貪(むさぼり)りのために落ちる世界です。貪欲(どんよく)のためにその結果として苦しむ世界です。

この餓鬼界に落ちるとやせ細って飲食することができないほど、常に飢渇に苦しむという世界です。その苦しみはあたかも逆さに吊るされるほどの苦しみだというのです。インドでは、子孫にまつってもらえない人の霊は逆さに吊るされるほどの責め苦にあうという伝説があるのです。

人間の責め苦の中で逆さに吊るされると血が下がり、顔がうっ血して極限に至ると死を招くほどの苦しみだといいます。そのような苦しみを受けるのが餓鬼の世界なのです。

ではこの餓鬼の世界から救われるのはどうしたらよいのでしょうか、それは施餓鬼法会を勤めることです。施餓鬼とは餓鬼に飲食(おんじき)を施す法会です。

この法会を通して亡き人に飲食を施し、供養するのが狙いです。
物欲しみをしない。喜んで人に布施する心を育てるのがこの法会の眼目です。

普通に布施と言えば人に金銭や財産の一部を施すことです。わたしはあの人にしてあげたという心があっては布施になりません。
させていただいたという謙虚な気持ちが真の布施だと思います。
布施を行う心得として三つのことを心がけなければなりません。

1、 自分はこれだけの施しをしたという自惚れをおこさない。
2、 誰に施したという施しの相手を忘れること

3、 何を施したということを忘れる事です。

布施をする条件とはほんとうに難しいですね。この三つの布施の心を育てるために先ず自身の貪りの心を捨ててしまう事なのです。
施餓鬼法会とは亡き人のためのもののようですが、実は私たち貪欲な心を捨てさせるための教えなのです。

       
   

● こころのはなし(第55回)2005.07.15

お 盆
今から13年前、わたしの母は膵臓癌で亡くなりました。
生前、母は何気なく「昭和35年ごろ、お寺は生活が苦しい時だったよ、農地解放のために土地を失い、おまえが丁度大学に入る事になって、入学金をどのように工面しようかとお父さんと相談し、お父さん名義のわずかに残っていた土地を手放して入学金に当てたんだよ」とホツリといいました。
 わたしは今までそのようね事実があったことも知らず、大きな衝撃を受けました。
 
『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』に「おのれ生ある間は、この身に代わらんことを念(おも)い、おのれ死に去りて後には、
子の身を護(まも)らんことを願う}とあります。まさに両親の子を思う心は、いつの世にも変わるものではありません。
 
お釈迦さまのお弟子である目連尊者は、生前やさしかった母親は、今どの世界に生まれ変わっているだろうと、神通力をもって透視したところ、餓鬼という苦しみの世界に墜ちていました。
 何とか母を救いたいという一心でお釈迦様に相談すると、「全国をまわって布教している僧たちが雨季の間、祇園精舎に帰り修業する。その修行が終る7月(8月)13日から15日までの三日間、修行僧に布施(ほどこし)をしなさい。その功徳によって、
母親とすべての餓鬼達は救われるだろう」と告げられました。
 目連尊者はその通りに実行し、再び神通力によって見通すと、母親は極楽の世界に生まれ変わっていたのです。

 それ以来、毎年この7月13日または8月13日からの三日間は、盂蘭盆(うらぼん)といい、亡き人々に供物を献じ、冥福を祈るようになりました。このお盆の行事を通して感謝の心と慈しみの心を育てていきたいものです。
  
お盆行事
お盆に帰ってくるご先祖さんのために「迎え火」を焚きます。これは帰ってくるご先祖様の足元を照らすという意味があります。またその迎え火の火を目印にしてお帰りになるとも言われます。この迎え火は13日に焚き「送り火」は16日の日に焚きます。京都の大文字焼きなどはこの「送り火」なのです。

       
   

● こころのはなし(第54回)2005.07.01

高野山を開かれた空海、弘法大師は延暦16年(797)24歳のときから延暦23年(804)までの7年間は、全く歴史の中に登場いたしません。まさにこのときは「空白の7年間」なのです。

空海はご一生の間、いくつもの名前をお持ちです。入唐する前年までは空海と自ら名乗ったかは不明です。
空海の著した「御遺告」には、「三教指帰三巻を作り、近士(在家信者)となりて無空と称す。」と言っておられますし、また「名をば教海と称し、後にあらためて如空と称す。」とあります。

20歳の時に山林修行のグループに入り、山野を跋渉する空海にはこれでよいのかという煩悶があったはずです。
その心の迷いというか、真の教えにめぐり合えない焦りというものがあったかと思います。その迷いが幾度も名前を変えているということが、揺れ動く心を表しているのではないかと思います。 
空海は24歳の時、「三教指帰」を著しました。この著作は上、中、下に分かれ、儒教の思想、道教の思想、仏教の思想をそれぞれ登場人物がでて物語を展開していきます。文体は四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれています。

四六駢儷対というのは漢文の一体ですが、漢、魏に源を発し、六朝(りくちょう)の時代から唐に流行しました。4字6字の句を基本として、対句を用いて口調をととのえるのが特徴で日本においては奈良時代、平安時代の漢文の多くはこの四六駢儷体を用いました。

空海の書いた「三教指帰」も文体を用いています。それまで物語文学がない時代に、注目するのは戯曲の体裁をとっていることです。戯曲とはご存知の通り演劇の脚本形式をとって書いた文学、劇文学です。24歳の空海がこれを著したということは驚異に値します。

さて、空海は24歳から31歳までの空白の時期はどのように過ごされていたのでしょうか。それを窺い知ることの手掛かりはありませんが、「紀伊国伊都郡(いとのごうり)高野の峯において入定の処を請(う)け乞うの表」に次ぎのように述べています。

「空海少年の日、好んで山水を渉覧(しょうらん)せしに、吉野より南に行くこと一日、さらに西に向かって去ること両日にして、平原の幽地あり、名づけて高野という。(後略)」とあります。

空海少年の日の少年とは20歳を指します。空海20歳の時、吉野、熊野、葛木山系を歩き巡っていたことが分かります。19歳で大学を去り、20歳から山林修行に入っています。空白の7年間はこうした山林修行の延長ではなかったかと思います。

空海は最終的には高野山を開かれ、高野山を入定の地と定められたことは、大自然(大宇宙)への回帰ではなかったかと思います。

       
   

● こころのはなし(第53回)2005.06.15

讃岐平野も梅雨の時期を迎えましたが、ほとんど雨も降らず今年は空梅雨になるのではないかと心配しています。四国の水がめである高知県早明浦(さめうら)ダムの貯水量が平年値89.2lなのに現在61.2lになってしまい、1次取水制限に入りました。今後まとまった雨がないと20日ぐらいに2次取水制限に入る予定とのこと、高松地方気象台によると、四国地方は19日から22日にかけて天気が崩れるがまとまった雨は期待できないとのこと、これから田植えをする農家の方は心配な事と思います。
 

さて、私は数年前、郵便を出しに近くの郵便局に行った際、一人の中国人と出会いました。私が最初に声をかけますと、私を福建省の中国人だと思ったらしく、彼女も気軽に話し掛けてきました。このようなご縁で中国語を習うようになりました。
彼女の名前は呉 暁華といい、香川大学大学院生で国際経済を専攻していました。とても優秀な人でもちろん日本語はなにも問題はありません。
今年3月に香川大学から金沢大学の大学院博士課程に進もうとしましたが、指導教授の推薦を得られなかったためと、ビザが切れる事もあり止む無く4月に帰国いたしました。
以前から彼女からふるさとである江西省南昌市に是非お越しくださいとのお誘いがあり、6月1日から6日までの日程で南昌市を訪問いたしました。

南昌市は上海から飛行機で一時間、3方を武夷山などの3000b級の山に囲まれた広大な盆地で、こうした地勢から亜熱帯気候に属します。近年、鉄道・高速道路の開通が相次ぎ、江西省への観光アクセスは飛躍的によくなりました。

南昌市は高松市と友好都市として交流を続けており、私が宿泊したところが中日友好会館で,
この館長さんが韓立生さんという大変気さくなかたでした。、呉さんの義理の兄さんにあたる人とでしたので、色々と気を使っていただきました。
滞在中は呉さんのご両親とも楽しい会食をし、和やかに過ごす事が出来ました。また南昌市から10キロ、高速道路で2時間、奇岩絶壁の盧山に登ることができました。盧山は1996年世界文化遺産の指定を受けたところです。

詩人李白は「盧山の瀑布を望む」という詩を読みました。

日は香炉を照らして紫煙を生ず
遥かに看る瀑布の前川を掛くるを
飛流 直下 三千尺
疑うらくは是、銀河の九天より落つるかと

また盧山は中国共産党の盧山会議の遺跡や白居易の書とされる「花径」の文字が刻まれた花径亭などがあり、史跡も数多く、「春山は夢の如く、夏山は滴の如く、秋山は酔の如く、冬山は玉の如し」といわれ四季折々の自然が楽しめる風光明媚の地です。
この他、陶磁器の町である景徳鎮も訪ねました。この一週間の間、呉さんや皆様に心暖まる歓迎と接待を受け、心に残る時を過ごさせていただきました。

 

       
   

● こころのはなし(第52回)2005.06.01

法句経の第3番に次のようなお釈迦様のお言葉があります。

「かれはわたしをののしった
 かれは私を害した
 かれはわたに勝った
 かれは私から強奪した」と
 くやしさをもって怨みずづける人には
おこりはついに鎮まることない。

中国の呉儀副首相は世界でもトップクラスの輝く女性だそうです。呉副首相は、愛知万博の中国ナショナルデー開幕式典のため5月17日に来日いたしました。訪日した日のその姿が放映され、がっちりとした身体で胸を張り、いかにも自信に満ち溢れたという印象を受けました。

河野洋平衆議院議長との会談や、日本経団連の奥田会長主催の昼食会に出席、予定通りスケジールを消化していたかに見えましたが、24日小泉首相との会談を予定していたにもかかわらず、突然キャンセルし23日帰国しました。
 24日の新聞はこれを大きく取り上げ、急遽帰国した事は外交ルール無視と報じていました。

このような中国側の対応に対して外務省首脳は「一国の首相が会う日程を組んでいるのに、理由もよく分からずに土壇場でキャンセルする。(中国側は)理由をちゃんと説明すべきだ。先の大使館破壊活動と一脈通ずるところがある」と述べ、「一連の中国側の姿勢は、国際ルール無視に加え、外交儀礼をも無視したものだ」と指摘いたしました。このことは小泉首相の靖国神社参拝を牽制する狙いがあるのではないかとの憶測が流れました。

そして25日の朝刊には中国側のスポークスマンによる発言があり、「副首相訪日に日本の指導者が参拝問題で中日関係改善のためにならない発言をしたことは遺憾で、非常に不満だ」との談話を発表し、小泉首相ら政府・自民党首脳の姿勢を公式に批判したとあります。

この問題はすぐには決着するのには大変な時間がかかると思います。それぞれの固執はお互いが歩み寄らなければ解決しません。
真の平和と友好を願うならあらゆる対立の要因を捨てないかぎり歩み寄る事さえも不可能です。
両国の固執を仏教の言葉でいうと「執着」です。すべての争いはプライドがあるから起こるのです。このプライドを捨ててしまう事こそ大切な事なのです。

 


       
   

● こころのはなし(第52回)2005.05.15

5月14日15日の両日、和歌山県の高野山に行ってまいりました。全山新緑に覆われ新緑の薫りを胸一杯に吸い込んでまいりました。
 このたびの高野山への登山は中学の同窓会で、一度世界遺産に登録された高野山に行って見たいという事から実現いたしました。参加者11名を関西空港に迎えるため、私は前日の13日に大阪に一泊する事にし、高松から難波行きの高速バスのチケット販売窓口に行きました。私は高野山大学の非常勤講師を昨年まで勤めていた関係からよくこのバスを利用していて、窓口の受付の女性とは顔なじみにでした。
 乗車券を注文し受け取った時に彼女は「私、今日で退社するのです。出産のためです。今日最後にあなたにお会いできて良かった」というのです。私は「それはおめでとう、無事に出産してくださいね」と応え、チケットを受け取りバス乗り場の方に歩き始めました。 時計を見るとバスが来るまでに10分ぐらいあります。とっさに彼女の退社と出産を兼ねたお祝いを何か出来ないかなと考えました。
 すぐ目の前に日航クレメントホテルがあります。そこに行けば
花屋が有るかも知れないと考えて急いでホテル内を探しましたがありません。目の前にケーキ店が有ったので手ごろなケーキを買い、急ぎチケット販売窓口まで戻り、彼女に「お元気で」とい言って手渡しバスに乗り込みました。
 縁というものは本当に不思議なもので、彼女の名前も知りませんけれど、無事出産し幸福な家庭を築いていってほしいものだと思い、走る車上から祈りました。何か心温かいものが何時までも心に残りました。
 次の日神奈川県藤沢から来る同窓生11名を関西空港に迎えました。南海電鉄高野線が橋本駅を過ぎ、そろそろと山にかかると山々の新緑は美しく、快い薫風が車窓から吹き込んできます。
高野山極楽橋に到着し、ケーブルカーに乗り換えて急斜面を登っていくと、両側にちらほらと石楠花の薄ビンク色の花が咲いています。ケーブルが高野山上駅に着くと山上の霊気が伝わってきます。
バスに乗り換え弘法大師ご入定の奥の院に向かい、一の橋で下車して奥の院まで苔むす何十万基という墓石群と老杉の間を歩むうちにいつしか幽玄の世界へと導かれるようです。
弘法大師ご入定の奥の院ご廟に参拝し、金剛三昧院の天然記念物の石楠花を観賞して宿泊する槙の湯温泉に入りました。
15日には高野山真言宗の総本山である金剛峰寺を参拝し、境内に群生する石楠花の美しさに歓声を上げながら伽藍、宝物が展示されている霊宝館を拝観し、大師教会で全員が受戒を受けて身も心も清らかになり下山をいたしました。
難波駅で同窓の友と別れそれぞれが帰途につきました。
旧友とともに弘法大師の霊場高野山を参拝して、充実した日を過させていただきました。

 

       
   

● こころのはなし(第51回)2005.05.01

百花繚乱の季節となり、寺の庭に昨年植えたチューリプの花が終ろうとしています。そして、弁天堂の池のまわりにはつつじがいま満開です。4月29日は高松の気温が30度を越える真夏日になりました。
 今年の4月29日は旧暦の3月21日に当たりました。今から1170年前、承和2年の3月21日寅の刻、午前4時に高野山を開かれた弘法大師空海和尚が永遠の定(じょう)に入られ、仏として昇華されました。そして大師は永遠をかけて私たち衆生をお守りくださっています。これをご入定(にゅうじょう)と申します。
 
少しこのご入定についてお話いたしましょう。お大師様がご入定の時期をお定めになられたのはご入定より数えて4年前のことです。
「吾(わ)れ去(いん)にじ天長九年十一月十二日より、深く穀味(こくみ)を厭(いと)うて専ら禅定を好む。
みな是れ令法久住(りょうぼうくじゅう)の勝計(しょうけい)にして、末代の弟子門徒等(もんとなど)のためなり」

大師は天長九年十一月十二日より、お米のご飯をめしあがらなくなりました。それは真言の教法を永久に栄えしめて、末代の弟子や信者たちの幸福をはかるというおぼしめしからです。
そして専ら禅定を好みましたのは、禅定に達しますと生死に自在をえることができるからです。このように穀物をとらず、野菜や木の芽などを召し上がられたのです。それでも大師はご健康で、ご入定の前の年まで京都と高野山との間を何回となく往復されています。

御入定の前年、承和元年2月には奈良唐招提寺の写経供養の導師をお勤めになり、3月には比叡山へ登られ落慶供養の呪願師(しゅがんし)をつとめ、5月28日には弟子や門徒のためにご遺告一巻をお作りになり、引き続き高野山の梵鐘鋳造の勧進文をお書きになられました。
 そして9月1日にはご自身で入定の場所を決定するために調査が行われました。

いよいよ予告されたご入定の日がせまりましたので、弟子たちを呼び寄せ、いよいよ入定の日が一週間後にせまったことを宣言され、二十五ケ条のご遺告の巻物一巻をお弟子様に読み聞かせたのです。
それが終りますと、香水(こうずい)をもって身を浄められ、浄らかなお部屋に入られたのです。それから飲み水も断ち結跏趺坐して大日如来の定印を結び、弥勒菩薩の三昧にお入りになりました。
 定室のうちには香煙が立ちのぼり、弟子達は悲しみに胸ふさがるばかりでございましたが、ご定床の前後を取り囲み静に弥勒菩薩のご真言を夜となく、昼となく夜となく、おとなえいたしました。
このようにして時間がしだいに移って七日目の寅の刻になりますと、温容に慈悲をたたえながら静におん息が止まったのです。おん年62歳でございます。

 大師は49日が終った翌日、50日目の夕方にかけてからお定めになっておられた奥の院の霊窟にご定身をお納め申しあげ、四方に石壇を組んでその上に五輪塔を建て、さらにその上にお堂を建てたのです。
以来、毎年ご入定の3月21日の正御影供には真言末徒は弘法大師空海和尚に報恩感謝のまことを捧げるのです。



       
   

● こころのはなし(第50回)2005.04.15

今年は桜の開花が大分遅れ、お寺の桜も13日までは満開でしたが、今は桜吹雪の真最中です。後の掃除が大変だなと思いつつ散ってゆく桜を眺めています。
私は10日から13日まで熊本におりました。熊本城の桜もほとんど散ってしまい、今は八重桜が見頃を迎えていました。
 熊本県玉名市に蓮華院誕生寺がございます。誕生寺は昭和5年に完成し、昭和53年に奥の院が完成しました。その誕生寺にダライ・ラマ法王がお越しになり、説教をされるというので行ってまいりました。
 誕生寺は比較的に新しい寺院です。しかし、誕生寺の活動は「れんげボランティア会」を設立し、25年間にわたって同じ仏教国に「仏教精神に基づくボランティア活動」を続けられている素晴らしい寺院です。
例えば
タイ国のスラム支援、人形劇・読み聞かせ活動、移動図書館。
カンボジアにおいては植林活動、日本語寺子屋教室、里親・里子奨学金制度、
スリランカでは少年の家、心の里親制度図書館支援、小規模水力発電プロジェクト、
チベット難民居住地における家屋改修事業、飲料水事業、チベット難民書籍出版事業、チベット医療ボランティア、
ミャンマー難民キャンプ支援などを行っています。
4月12日誕生寺の五重塔の特設会場に5千人の方々が、ダライ・ラマ法王の説教を聴聞しようと集ました。
午後1時半、法王はお出ましになり、2時間にわたって仏の教えを説かれました。
その説教の内容は釈尊が説れた縁起の法と、般若心経に説く「空」についてでありました。相当難しい話でしたが、ほとんど人が席を立たずに聞き入っていたのが印象的でした。
 ダライ・ラマ14世法王は、6歳の時より僧院での学習をはじめられ、23歳で最高位のゲシェの学位で仏教哲学の博士号を受けられました。
 1949年にチベットへ中国が侵略し、1959年中国軍がついにラサ市民の武装決起を弾圧しました。ダライ・ラマ法王は国外への脱出を余儀なくされ、現在まで45年間インド北部ダラムサラにおいてチベット亡命政府の元首として、人々の平和のために非暴力による闘争を選択され、チベットの平和と自由のために、
また世界の平和のために活動をされています。
1989年にはノーベル平和賞を受賞されています。法王は苦難の道を歩まれながら、仏の教えをバックボーンとして法を説き、真に人々のために祈り、活動する姿は尊い菩薩の姿で御座いました。



       
   

● こころのはなし(第49回)2005.04.01

毎月1日と15日はホームページの内容を変えていましたが、パソコンの調子が悪く、皆さんに心の講話をお届けすることが出来ませんでしたことをお詫びいたします。
また3月10日から大分県下の寺院を廻りお説教をしながら廻っていましたので、お寺を不在にしていましたので、ホームページに新しい情報を入れることが出来ませんでしたことを、お許しください。
さて、お四国八十八箇所を巡拝いたしますと、四国遍路の方が被っているものに網代笠があります。また托鉢をするお坊さんが被っています。道中照りつける日差しをよけるためにつけるのと、もう一つは、托鉢修行中に布施して下さる方の顔を見ないためだと思われます。顔を見るといろいろな思いが沸いてくる事を避ける意味も有ろうかと思います。
さて、この網代笠を良く見ると、網代笠の上に何か文字が書いてあります。その文字を「四句の偈」といいます。

迷うが故に三界の城あり
悟が故に十方は空なり
本来東西なし
いずくにか南北あらん

と書いてあります。この四句の偈のことについて、高野山が発行している高野山教報の3月15日号に、高野山奥の院維那(ゆいな)である日野西眞定僧正が次のように書いておられます。
この四句の偈の出典はどこか分かりません。五来重先生の「葬と供養」には日本の禅僧の中に生れた「禅語」と考えられ、無常を説く偈として鎌倉時代に流行したものらしいとあります。
 この笠は葬式にも使われ、死者が白い帷子(かたびら)を着け、この笠をかぶってあの世に旅立つと信じられています。四国遍路も同じ装束で歩きます。「山中他界」ということばがあり、聖なる山には、先祖の霊が篭もる死の世界があるという信仰を述べたことばです。四国にもこの信仰をもって建てられた寺が多くあります。
大きく言えば四国という島は、本土から離れた向こうにある「他界」だという信仰もあったと思われるといわれています。
人々が生活している「生」の世界から、「死」の世界に往き、また「生」の世界に帰って来ることは、信仰的に「生まれ変わり」の意味があると日本人は信じています。つまり、これまで身につけた罪、穢れを祓い落とし、清らかな身体になって帰ってくる。さらには山には強い霊力を持った「山の神」から力を頂くのです。四国遍路も同じ目的をもっています。と書かれています。大変興味深い説だと思います。


   

● こころのはなし(第48回)2005.03.01

二月がアット言う間に過ぎ去ってしまいました。この二月の寒かったこと、私の住んでいる高松では滅多に雪が降ることはありませんが、つい先日二度も雪になりました。
しかし、もう3月、嬉しいですね、何となく胸が躍る気がいたします。3日は節句、節供とも書くそうです。

節句は五節句あり、普通、節句というと五節句あり、節句というと旧暦の3月3日と5月5日の端午の節句を思い浮かべます。
この五節句は
人日(じんじつ)正月の7日
上巳(じょうし)3月3日
端午(たんご)5月5日
七夕(しちせき)7月7日
重陽(じゅうよう)9月9日
をいいます。
これは旧暦ですから一月ぐらい遅くなると思います。
3月3日は女性のお祭り、ひな祭りです。中国ではこの日、川で身を清め不浄を祓(はら)う習慣があったといいます。
これが平安時代に取り入れられ、宮中で曲水の宴を張り、祓(はらえ)を行うようになりました。
やがて曲水の宴はすたれましたが、上巳(じょうし)は巳の日の祓いとして貴族の間に定着していきました。
祓いのときに用いた紙の人形・人形(ひとがた)として人形をつくり、それに穢れを移して川や海に流し不浄を祓ったのです。
 各地にのこっている流し雛の風習はこれに当たります。
江戸時代以降は、雛祭りとして急速に庶民の間に広まり、後に上巳(じょうし)は3月3日の雛節句を指すことばに使われています。
このひな祭りは桃の花を活け、何か華やいだ雰囲気があります。

私は兄弟が男ばかりの3人兄弟でしたから、一度も雛壇のそばで甘酒を飲んだ記憶はありませんから、母は一度も嫁入りに持参したであろうお雛様を飾ることはなかったと思います。
さて、弥生は旧暦の3月の異称ですが、弥生とは木草弥生(きくさいやお)い茂る月、つまり草木のいよいよ生い茂る月の意味だそうです。「きくさいやおいずき」が詰まって弥生となったという説が有力だそうです。この頃になると雁が北へ帰っていくのでしょうか、本当に暖かい春が待ちどうしいですね。

       
   

● こころのはなし(第47回)2005.02.15

 

2月12日に「みんなでこどもを育てる県民運動」香川県民大会が高松市の文化芸術ホールで行われました。
基調講演にノンフィクション作家である柳田邦男氏が「電子メディアと子どもの心」サブタイトルとして「少年事件が問いかけるもの」と題して講演されました。
最近少年による重大な事件が多発して、社会全体に大きな衝撃を与えています。柳田氏は長崎県佐世保で起きたクラスメイトを殺傷した事件を取り上げ、その加害者の心理を分析しながら、この事件の異常性を語っておられました。
その講演を掻い摘んでご紹介したいと思います。
 先ず、最近の事件は異常と普通の区別がつきにくいと指摘されました。奈良県の新聞配達員による小学生殺害事件も性犯罪の異常な事件ですが、犯人の社会生活の中では、異常な人だという見分けがつかない。事件が起きてしまって本人の異常さに気づくのです。

 柳田氏は最近の青少年犯罪には、電子メディア(媒体、情報伝達の手段や方法の意)に拘わる事件が見受けられるといいます。
2月14日に大阪寝屋川市の市立中央小学校で教職員3人が殺傷され、17歳の少年が逮捕されました。
少年の小学校時代の同級生によると、少年は兎に角テレビゲーム好きだったのを覚えているといい、教室で机が近かったという同級生は、少年がゲームの話をする時だけ無邪気に笑うのを憶えています。といっています。
佐世保の事件も加害者の少女はインターネットの関連性が指摘されています。また普段の生活でテレビ漬けであったといいます。
この電子メディアによる弊害が次のように考えられるといわれました。

1、 自分の心の中にある曖昧な気持ちを分析して、整理して人に伝えるそうした言語化が苦手であるということ、自分の気持ちが相手に伝わらない。言語化しないとカオスの状態である。
(注)カオス ギリシャ語、初期状態のわずかな違いにより、その後に生成されるものが大きく異なるような現象をいう。

2、他者に愛着という感情を持てない。
  愛着というのは、妊娠時胎児は羊水の中に包まれているヌクヌク育った状態、胎児の時代、母親の心が安定している事が大切です。胎児は母胎の中でお母さんの感情を読んでいる。赤ちゃんは自分が守られているという実感が必要だといいます。その実感を言葉で、行動で示す。

3、 会話、文章を読んだときに全体を理解することが苦手である。一部分にこだわる。
その表れが寝屋川市での事件で「いじめを受けた時たすけてくれなかった」というこだわりとして表れたのでしょうか。

4、 怒りの感情を整理して表現できない。
  色々な感情、喜び、悲しみなどの微妙な感情を整理できないといっています。
現在の子どもの80%が自己中心的で、すぐパニックになり、暴力的になるという5年前の調査があります。何故このようなことになるのか、それは家庭環境の変化です。価値観が変わってしまった。昔は大勢の中で触れ合う、グループや集団でぶつかり合った。また現在は親との接触が希薄になった。それに代わり電子メール、テレビ、ネット、携帯電話、テレビゲーム等が子どもの遊びの主流になってしまい、上記の1から4までの事象が表れたのではないでしょうか。 今こそ家庭のあり方を見直すときではないでしょうか。

       
   

● こころのはなし(第46回)2005.02.01

 

1月も駆け抜けるように終わり、2月の声を聞こうとする時、寒波の襲来です。讃岐平野も強い西風とともに少し雪が舞います。
そのような中で裏庭の隅の方に植えてある蕗の根本を見ると、たくさんの蕗の薹が顔をだしていて、大分大きく膨らんでいます。
そんな中に一つだけ先が少し開いているのがあり、それをそうーと摘み取って、夕食の吸い物の中にいれました。なんともいえない春の香が漂ってきます。そして淡い緑色がなんともいえぬほど美しく、しばらくお椀の中の春を見つめていました。
  
2月の4日が立春です。暦に本朝七十二候というのが「略本暦」にあります。この七十二候の候というのは、わずかに表面に出てきた兆しをいいます。または季節のあらわれをいいます。
ですから「時候」とか「兆候」といいます。またもう一つの
意味としては、あらわれるのを待ち受けるという意味もあります。
ですから、七十二候というのは一年の季節の変わり目を七十二で表現したものです。
 
この七十二の季節の表現で、一番多いのは鳥に関するもので、十二、次に風、雷などの自然現象が二十、草木・作物が十三、虫などが九、けものなどが六、魚が一、となっています。これを見ると分かるように一番多いのは鳥に関するものですが、これは鳥類が季節に先駆けて飛んできますし、飛び去っていくからその季節を知ることが出来たのでしょう。
前に書いた、略本暦(りゃくほんれき)というのは、本暦を基準として、一般の人に便利な事柄だけを抜き出した暦(こよみ)です。

 その中に立春のころをどのように表現しているかといいうと、「東風凍を解く」(とうふうこおりをとく)とあります。
東風とは東から風が吹き始め、厚い氷を解かし始める時節をいいます。この東から吹いてくる風を春風ともいいます。
昔の人は季節の移ろいの中で、その季節季節を敏感に感じ取り、暖かい春を待ち望んだのでしょう。私たちも家の近所で小さな春を見つけてみませんか。そこには小さないのちが一生懸命生きようとしている姿を見つけることができると思います。

 

       
   

● こころのはなし(第45回)2005.01.15

 

1月14日の新聞はスマトラ沖地震による津波によって死者が18万人を越えたと報じています。まことに筆舌に尽くしがたい未曾有の大惨事です。連日新聞やその他の報道によって詳細が分かるにつれて悲惨な状況が伝えられます。

 その報道の中で生存者の話が載っている事があります。そのひとつが津波が襲う前に、突然日本人の観光客を乗せた象が走り出し、高台まで一目散に逃げて命が助かったという記事がありました。動物には自然災害を予知する能力が備わっているのでしょう。この度のスマトラ沖地震の発生の前に、他の動物たちはいち早く予知して、吼えたり、あるいは山に逃げ込んだ動物がいたかもしれません。人間も本来こうした予知能力を備えていたのかもしれませんが、しかし快適な生活を営むようになって、その能力は無くなってしまったのかもわかりません。

もうひとつの記事は、昔から漁師の古老の話として伝えられていることに「海が大きく引いたら山に逃げろ」という言葉を護り、島民がいち早く高台に逃れて死者は一人だけであったと報じていました。島の名前も憶えていませんが、昔同じような災害があり、それを古老の言い伝えとしてきたのでしょう。経験からくる漁師の知恵です。
 
 2世紀中頃から3世紀中頃に、龍樹(りゅうじゅ)という高僧がいらっしゃいました。大乗経典の注釈書を多く著した人であります。龍樹の著書であります「智度論」に次のような言葉が書かれています。
「智目行足(ちもくぎょうそく)以(も)って清涼池(せいりょうち)に到る」
清涼池とは迷いを離れたさとりの世界を譬えたものです。このさとりの世界に到るのにはどうしても智目と行足が必要です。
 この智目というのは知恵の目のことです。つまり正しい認識、理論ということです。行足というのは正しい実践ということです。
どんなに素晴らしい理論であっても実践が伴わなければ何もなりません。この智目と行足があって初めて知慧となるのです。

仏教ではこの知慧に三種あると説きます。
聞慧(もんえ)・・・耳から聞いた知慧、聞きかじりの知慧です。

思慧(しえ)・・・思い考えた智慧です。耳に聞いた智慧をもう一度考え直した智慧です。

修慧(しゅうえ)・・実践によってしっかりと理解できた智慧です。ようするに自らが行うことによって得た智慧です。
 このたびのインド洋津波で古老の実際の体験が、多くの人の命を救うことができた。これは全く修慧に他ならないのです。


 

       
   

● こころのはなし(第44回)2005.01.01

 

明けましておめでとうございます

昨年は本当に天変地変が多い年でございました。夏の猛暑、台風の襲来、新潟中越地震、年末にはスマトラ沖地震というマグニチュウド9・0という激震により津波を引き起こし、死者は10万人を越えるだろうといわれています。本当に悲しいことです。
多くの国が救援のために現地入りし、活動をしていますがまだまだ飲料水、食糧、医薬品が不足し、感染症の発生も憂慮されるところです。

アメリカはイラクでの戦争終結を宣言してから、自爆テロなどにより戦死者が増えています。一人の戦死者には家族、友人、知人と多くの人が悲しみにくれて苦しみます。いつまでもその悲しみは癒える事はないでしょう。本当に戦争は罪悪です。それなのにブッシュ大統領はこの戦争を正当化し、神のお加護をと祈っています。ブッシュ大統領は敬虔なクリスチャンだそうですが、悪である戦争を神はお許しになり、加護するのでしょうか。

お釈迦さまのお言葉に「勝つもの 怨(うら)みを招かん 人に敗れたもの 苦しみて臥(ふ)す」とあります。戦勝した国は敗戦した国民から怨みきらわれ、敗れたものはいつまでも苦しみ、敵国視し、また怨みを持ち続けるでしょう。パレスチナの紛争を見れば一目瞭然です。

アメリカはイラクから名誉ある撤退をする正当な理由づけが見あたらないのではないでしょうか。そうです名誉ある撤退です。

先ほどスマトラ地震に触れました。今インド洋沿岸一帯では地震により多くの人が苦しんでいます。今こそイラク戦争を止めてアメリカ軍の全兵士を被災国に救援のために差し向けてはどうでしょうか。そうすれば、イラク全面撤退の立派な理由づけができます。

平和の大切さは穏やかに生活できることです。生きとし生けるいのちが穏やかに生活できますようにと、毎日本堂に坐して祈っています。
至心発願(ししんほつがん)  こころをいたして願いを発(おこ)します。
天長地久(てんちょうちきゅう) この大宇宙が永遠でありますように。
即身成仏(そくしんじょうぶつ)  父母から頂いたこのみこのままで、最高の宗教的人格を完成いたしましょう。
密厳国土(みつごんこくど)  この地球が争いのない仏さまの居ます極楽のお浄土のようになりますように。
風雨順次(ふううじゅんじ) 災害がありませんように。
五穀豊饒(ごこくぶにょう)五穀穀物が豊に実りますように。
万邦協和(ばんぽうきょうわ)  世界が平和でありますように。
諸人快楽(しょにんけらく)  以上のことがすべての人々に
平等利益(びょうどうりやく) 平等にいきわたりますように。

これらの事柄をさらにこの一年只々静に祈っていきたいとおも
います。みなさまには穏やかな日々が続きますようお祈りいたし
ます。


     
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