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弘憲寺の名宝
   
四百年の歴史を語りかけてくる
弘憲寺に伝わる名宝の数々をご覧ください
 

【市指定重要文化財】
生駒親正肖像図

生駒親
(1526-1603)は、戦国時代の武将。生駒親重を父として、美濃国土田に生まれる。織田信長、後に豊臣秀吉に仕え、小田原攻めに至るまで数々の合戦で軍功をあげる。
天正15年に讃岐一国を秀吉から与えられ、高松城を築城するなど、讃岐国高松の基礎を造った。三老中の一人に任じられ、豊臣政権を支えた。
しかし関ヶ原の戦いでは、息子一正が東軍に属し戦功をあげたのに対し、親正は西軍に属したため、高野山に逃れて出家した。 讃岐国は息子一正に与えられ、親正も許され、高松に戻ったが、慶長8年(1603)2月13日に没した。
【国指定重要文化財】
不動明王立像


不動明王は大日如来の使者とされ、わが国へは平安時代初期に請来されたが、密教の流布とともに熱烈に信仰され、密教寺院には欠かせない重要な仏像で、その遺例はきわめて数多い。
本像は桧の一木造りで、右手に剣、左手は垂下して羂索を持ち、左足を僅かに前に出し、腰を少し右に捻り岩座の上に堂々と立つ。
なお本像は慶長年間に、藩主・生駒一正が旧法勲寺から移した仏像のひとつであったとみられている。
【県指定重要文化財】
地蔵菩薩立像
平安時代12世紀

本像は裙と覆肩衣を着けて、その上に袈裟をまとい、頭部は円頂にして右手に錫杖、左手は屈臂して掌上に宝珠が乗せられた通 形の地蔵菩薩である。
面相部を見ると、額には白毫を付け、丸顔で頬はふっくらとし、穏やかで優しさを示した目を刻む。口はやや小さく穏やかに造り、全体的に柔和で優美さが看取れる。
わが国での地蔵信仰は奈良時代から知られるが、平安時代後期には六道に迷う衆生を救済する仏として盛んに信仰された。
本像の作域はきわめて優れており、四国内をみまわしてみても、これほど都風を示した地蔵菩薩像はほとんどみることがない。このことは讃岐の地が畿内と深い関係にあったことを示しているといえよう。
天部形立像
江戸時代18-19世紀

本像は頭髪部を結い上げ、口を開け眉を吊り上げて、忿怒の形相を示し、右手を振り上げ三鈷杵を持ち、左手を腰に当てた天部形である。
形式化した着衣の彫法や面相部のやや力ない表現、されに着衣の裾を大きく左右に広げ、重たげなプロポーションから本像の制作は江戸時代中〜後期であるだろう。
金襴波引車紋散七条袈裟
江戸時代17世紀

袈裟は、僧服の一種で、もとはインドで体に巻き付けた衣類が起源といわれる。
長方形の布を左肩から右腋下にかけるほか、細く畳んで輪とし首にかけるものもある。
この袈裟は、生駒家と弘憲寺の紋である波引車紋を金糸で織り込んで散らした金襴衣で、豪華なつくりとなっている。縦の条数を七条とした七条袈裟である 。

【国指定重要文化財】
密教法具 灑水器,塗香器

密教の儀式では、古代インドの生活用具に祖型をもつ特別な道具と壇などが使用されるがこれらを総称して密教法具と呼んでいる。灑水器は香水を入れ、塗香器は香抹を入れる器で、同じ器形であるが、灑水器が少し大きい。
【国指定重要文化財】
密教法具 金剛盤

金剛盤は、金剛鈴や金剛杵を置く盤。本例は、四葉形の台に三脚が付き、素文で銅鋳製鍍金である。盤面 に高い三角縁をめぐらし、正面二足の全面に縦溝を刻むのを特徴とする。
 
【国指定重要文化財】
密教法具 六器,火舎,飯食器

火舎は、鈕をもつ蓋に、三脚が付く火炉との組み合わせ。蓋と炉の間には甑が挟まれているが、蓋と甑が一連に鋳されている。
六器は、閼伽、塗香、花鬘の供物を盛る器。
飯食器は、仏飯を盛る器である。


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