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■ 心の講話バックナンバー 2009年分 |
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こころのはなし(第150回)2009/12/15
今年も残すところ半月になりました。11月には入ってからも比較的暖かい日が続いていましたが、この15日頃から冷たい風に変わってきました。
今年一年振り返ってみますと暗いニュースが多かったのではないかと思われます。昔は新聞などで時たまこころ温まる記事が出ていましたが、最近は皆無です。それに引き換え凶悪な事件や、また事故のニュースばかりです。そのような記事を見るにつけ亡くなった方の痛ましさや、遣りきれなさを覚えるのですが、それも覚えていても数日のことで、また次の事件や事故の情報が飛び込んできます。こうした情報の多さに感覚が麻痺してしまうのでしょうか。
今年は経済不況で日銀はデフレを宣言しました。経済界は特に二番底の不況があるのではないかと危惧しています。年の瀬になると倒産により職を失う人、リストラに遭う人などが生活に困窮し、生きる望を失い自らの命を絶つ人も少なくありません。
昨年一年間で自殺した人は三万二千人余、一年間の交通事故死より多いのです。三万二千人というとオリーブで有名な香川県小豆島の人口が三万二千人ですから、小豆島の人が一年のうちに居なくなったことになります。
自殺の原因を見ると、病気の問題、経済的な問題、家庭の問題と続きます。これらの問題をみますと、釈尊が説かれた四苦八苦の苦しみそのものです。四苦八苦とは生(生まれること)、老(老いることの苦しみ)、病(病による苦しみ)、死(死の苦しみ)この三つの苦しみである老、病、死の原因は人間としてこの世に生まれてきたことが原因で、四苦はその結果です。これは因果の法則です。要するに我々は原因と結果によっているということです。
ま四苦から次の四つの苦しみが引き出されます。それは一つには哀別離苦(あいべつりく)の苦しみです。愛しているものと別れなければならない苦しみです。次は怨憎会苦(おんぞうえく)、憎しみ怨むものと会うのは苦しみだという人間関係による苦しみです。次が求不得苦(ぐふとっく)です。求めても得られない苦しみ、欲求不満の苦しみです。最後は五蘊盛苦(ごおんじょうく)です。
この現実の世界には物や心が存在するいじょうはすべての対象物が苦しみの原因となるのです。
ですから釈尊はこの世は苦しみの世界であるとお説きになりました。ではこの苦しみとは何か。苦しみとは梵語でドッカといい、漢訳すると不如意となります。読んで字の如しで意の如くならない。思うようにならないということが苦しみの原因です。
苦しみの原因が分かると、あとはその原因となるものに執われないことです。執われなければそのことが苦しみとはならないのです。執われるから思うようにならない、これが苦しみの出発点です。
この道理を知っていたならば自らの心が少しは軽くなるのではないでしょうか。要するに物に執着することなく正しい智慧を持って生きることです。穏やかな年末になることを祈っています。
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こころのはなし(第149回)2009/11/15
平安時代は多くの僧たちが危険を冒して遣唐使船で唐土に渡り、仏の教えを求めました。その目的を果たせないまま遭難した僧侶も少なくなかったことでしょう。
また戒律を日本に伝えるために失明などの苦難にめげず、艱難辛苦の末、日本にたどり着いた鑑真和尚は「たとえ限りなく広いおおうなばらが隔てようとも、命を惜しむことはない」と述べています。これを不惜身命(ふしやくしんみよう)といいます。仏の教えのためには命を惜しまずに捧げることを言います。
そして密教を唐土に求めた空海さまも「広い中国の海のように広大な仏教を訪ね究(きわ)めて、東の辺境である日本の旱(ひでり)のような法の渇(かわ)きを癒(いや)したいとおもっている。こうして私はとうとう一命を大海に棄てる覚悟で真実のおしえを求める旅に出た。」と「越州の節度使に与へて内外の経典を求める啓」で強い求道の意思を述べています。
空海さまは遣唐使船に乗船し、長崎県の田浦港から出航、二日目にして暴風の襲来を受け、漂流すること三十四日、九死に一生を得て福州赤岸鎮に漂着したのです。
その様子を「大使、福州の観察使に与ふるが為の書」に述べられています。「死の危険をおかして航海に乗り出した。こうしてひとたび本国の岸を離れて中途までおよんだころに、暴風が帆を破り、大風が舵(かじ)を折ってしまった。高波は天の河にしぶくほどとなり、小舟は波間にきりきり揉むありさまとなった。
(中略)猛風が吹ききたれば、これに顔をひそめて、そのまま死んで大亀の口に入るのではないかと覚悟し、大波に眉をひそめて、終(つい)の住みかを鯨の腹の中に定める気になった。浪のまにまに浮き沈みし、風の吹くままにまかせて南北に流れた。ただ天と海の水色の世界だけを見ていた。どうして山や谷の白い霧を見ることが出来ようか。波上に漂うこと二月あまり、ついに水は尽き人は疲れて、なお海路は長く、陸路は遠い。空を飛ぶ鳥の翼が脱け、水を泳ぐ魚の鰭(ひれ)で傷んでいるのも、どうして、今われわれの苦しみの喩(たとえ)とするのに充分といえようか。」と表現しています。
空海和尚は赤岸鎮に漂着、それから2400キロを旅して唐の都長安に到着し、密教の師を求め、ここに青龍寺の真言第七祖恵果阿闍梨に出会うのです。恵果阿闍梨は温顔を湛え、空海さまを一目見るなり「私はあなたに出会うことをどれだけ待ちわびたことか」と法を伝えるにふさわしいものと直感し、直に密教の奥儀を余す所なく伝えたのです。
空海さまに法を伝えた3ヶ月後に恵果阿闍梨は病に伏し、空海さまを呼び「私がこの国であなたに伝えることは何もない。早く本国に帰り、この教えを国家に奉り、天下に広めて人々の幸いを増すようにせよ。そうすれば、国中平和で万人の生きる喜びも深くなるであろう」
このお言葉こそが、空海さまのゆるぎない思想となり、高野山開創という現実的な行動となっていきます。
来る平成27年は空海さまが高野山を開かれて1200年になります。これを記念して世界平和のため、人々の幸せが末長く続きますように、50日間に亘り大法会が営なまれ祈りを捧げます。ぜひこの好機に高野山にご登山され、霊気に触れていただきたいと思います。
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こころのはなし(第148回)2009/11/01
釈尊の言葉に
「頼りになるものは、自分自身だけである。自分自身のほかに、いったい誰が自分の救護者になりえようか。われわれは、よく整えられた自分自身の中にこそ、自分の救護者をみいださねばならぬ。」
私たちはそれぞれ自分自身でかけがえのない人生を生きて、やがては独りで死んでいかなければなりません。そう考えると、いかなる苦しみにも「身みずからこれに当たる」より他にありません。つまり、自分以外に何かに頼ることをやめて、自分自身を終極の「よりどころ」にしなければなりません。釈尊はお亡くなりになる時、阿難尊者という愛弟子に次のようにおっしゃいました。
「お前は自分自身に灯火(ともしび)をいだいて、自分の足元を、自分の行く手を照らし、輝かせなさい」と言い残しています。
これを仏教では「自灯明」(意味はみずからの明かりをともす)ということです。
現在密教禅塾の皆さんに喜捨していただいているボランティア基金はスリーランカのセネックス財団を通して寄進させていただいています。この財団を通して一人の子どもに里親として助成させていただいています。このセネックス財団の理事長はスリランカ仏教会の大僧正でありますシーラガマ ウイマラという方です。私はシラガマさんとは何度かお会いしていますが、偶然にも先月22日に会議のため高野山に登り、帰りのケーブルの中で何年ぶりかでお会いすることができました。そのお会いした二日前にシーラガマさんからポストカードが私に届いていました。
シーラガマさんは9月2日、57歳の誕生日を迎え、その感謝の誕生日カードを私に下さったのです。
そのカードにこのように書いてあります。
皆様お元気でしょうか。私は9月2日、57歳の誕生日を多くの人に支えられ、無事迎えることが出来ました。感謝申し上げます。
スリーランカでは誕生日は父母への感謝する日とされています。
この後にお父さんへの感謝のことば、お母さんへの感謝のことばが書かれております。
そして、皆様に感謝を込め57歳誕生日プレゼントとして6日間の布施行をいたしました。と書かれています。
一日目は誕生日布施行の前夜祭法要。二日目は百人の僧へ昼食接待布施行。三日目は入院患者の全快を祈り手首にお守りを結ぶ布施行。四日目は人々の幸せ、健康、諸々の願いを込めて仏への供養。五日目はきわめて貧しい人への食料布施。六日目は地域の方々へ報恩感謝の無料診療と献血運動を実施するとあります。
お釈迦さまが説いた「頼りになるものは、自分自身だけだある。自分自身のほかに、いったい誰が自分の救護者になりえようか。
われわれは、よく整えられた自分自身の中にこそ、自分の救護者を見出さねばならぬ。」
要するに「他のために」行動を起こすことは、結局自分の為であるということです。
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こころのはなし(第147回)2009/10/12
毎月一日、十五日に文章を変えようと心掛けてはいますが、色々と雑用に追われているとついうっかり忘れてしまったり、題材が見つからずそのままになったりで、最近は頓に飛ばすことが多くなりました。今月は13日から16日まで山形にいる大学の同窓生に45年ぶりに家内共々会いに行くことになり、15日はホームページを書き換えることが出来ないので、少し早めに書くことにいたしました。
さて10月11日は自由律の句を詠む俳人種田山頭火の命日です。享年59歳、四国松山の一草庵でなくなっています。
今月の11日の朝、ラジオで11日は山頭火の命日ということを放送していましたので、前に一度読んだ事がある「俳人山頭火の生涯」大山澄太著 彌生選書を再び読んでみました。
この中に、「出家得度」について書かれています。
大正13年のある日、酔っ払った山頭火は熊本公会堂前を進行中の電車の前に仁王立ちした。急停車で事なきを得たが、車内の乗客は皆ひっくり返った。この騒ぎに、大勢の人が寄ってたかった。
自殺しようとしたのか、或いは酔狂からかそこは謎であるが、弟二郎もそれよりさき自殺している。やがて警察が来て、人山でかこまれた。その時、木庭という男が現れて、山頭火の腕をとらえ、「こっちへ来い」といいながらぐんぐん電車道を引張って俗にいう千体仏、つまり報恩寺という禅寺へ連れて行った。望月義庵和尚は、黙って微笑して迷える酒徒を容れた。和尚は何処の何者かを尋ねようとせず、また何の説法もせず、にこにこして三度の食事を供した。山頭火はそれまでにも、当時熊本で盛んに禅風を興していた沢木興道老師の会に、時々参じたことはあったのであるが、この寛容にして深切なもてなしによって、そして禅家の静かで簡素な雰囲気にしたって、心温まる思いがし、禅への関心を深めたばかりでなく、いつの程にか本格的に禅の道に参入する志を堅め、和尚に師事して、朝夕の行持を励み境内の掃除をし、座禅を組み、日々修行に打ち込むようになった。
ここまで読んで、望月義庵和尚の懐の深さというか、人間の大きさに只々深く感動いたしました。いまこのようなスケールの大きい人にはめったに会うことはできないでしょう。私は高野山の本山布教師として説教を通して教化活動をしてきました。
しかし、まさに教化のあるべき姿は望月和尚の「無言説」、あれこれと説かずに心で導くことこそ真の教化ではなかろうかと思います。
山頭火が沢木興道老師の会に時々参じたとありますが、私が大学時代、ちょうど昭和36年に興道老師について参禅をしたその記憶が蘇りました。
お寺はしずかなぎんなん拾う 山頭火
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こころのはなし(第146回)2009/10/01
今月の言葉は
たとえ真実のことでも、相手のためにならないことであるならば、語ってはならない。しかし、真実で、しかも相手のためになることであれば、たとえ相手に不愉快なことがあっても、それを語るべきである。」「経集」にある言葉です。
主婦の友社 から出ている、「病院で死ぬこと」という本があります。山崎章郎(ふみお)さんの著作です。
その著作の中で、わが国は現在、日本人の死因の第一を占めているガンのために、毎年二十万人の人たちが、この世を去っている。これは日本人のうち、四人に一人がガンで死亡していることを示している。(この本の出版が平成四年ですから、このデーターは変わっているかもしれません。)
(中略)
一般の人がガン=死と考えるのも無理からぬことだと思う。しかし、もちろん、ガン=死という考えは誤った考えである。(中略)できはじめのガンであれば、ほとんどの人は治療によって完治するし、かなりの進行がんでも半分以上の人が治っていくのが実状だからだ。(中略)ただ、現時点では、不幸にして末期がんになっていく人もいるわけで、その数が年間二十万人ということになる。
体に変調を感じ病院に行き、色々な検査を重ね、ガンという思わぬ結果が出たとき医師は家族を呼び、患者さんの病気の状態を告げ、患者本人にガン告知をすべきか否かを医師も家族も迷うと思います。がん告知によって患者は絶望の渕に立たされ、生きる希望を失って死期を早める結果になるかもしれません。
ある坊さんが、ガンにおかされ、医師に「自分は若い時から修行を積んできているから、どのようなことにも動じない心をもっている。どうか正直に病状を言ってください」と懇願しました。
医師は「そうだな、修行も積んでいるので、ガン告知をしてもダメージは小さいだろう」と思い告知したところが、豈図らんや死期を早める結果になったという話を聞いたことがあります。
真実を伝えることは正しいことなのですが、受け手がその真実を事実としてうけとり、逆に頑張ろうという希望もって生きる時には真実を伝えることも出来ますが、逆に真実を告げた結果、最悪の事態になることも予想される。この判断は非常に難しい。
高野山管長に津田 実雄大僧正というかたがいらっしゃいました。昭和四十二年二月に肝臓ガンで遷化されました。
入院されたから没するまでわずか三週間でした。長男の現住職は次のようにお話されて居ます。
「うちの老僧は、よく『浮生一場』という字を軸に書いたということです。命というものは、与えられただけだ。宇宙から見れば、ほんのちょっとした間のことだ。だからその間をその間を大切に生きなきゃいかん、いつ命が尽きるかわからんが、尽きるまでに与えられたものに報いたい。そうゆう生き方やなかったかと思うんです」
人間というものは本当に弱いものです。その一言によって高められたり、希望を抱いたり、夢を持ち続けたりします。逆にその一言で希望を失なったり、絶望に追い込まれたりします。また立ち直る機会を与えることにもなるかもしれません。真実を伝えることの難しさは此処にあると思います。
「経 集」では仏の言葉として表題の言葉を説いているのです。
引用文献
山崎 章郎著 病院で死ぬということ
柳田 邦男著 ガン 50人の勇気
松涛 弘道著 釈尊の名言108の知恵
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こころのはなし(第145回)2009/9/01
8月10日でしたか、静岡県一帯に震度6弱の地震があり、高速道路が一時不通になりました。中学の同窓生が沼津の近くの函南にいるので、心配で次の朝早くメールを入れましたら、返事が返ってきて、その時の様子伝えてくれました。その時点で彼は
ペッボトルを数本持って、車の中にいて家の中は怖くて帰れないということでした。天災はいつくるかわかりません。
しかし、この自然災害は地球のはたらきであって、考えてみたら地球誕生から今日まで災害は続いているのです。地球誕生から今日まで38億年色々な困難を乗り越えてこうして「いのち」が続いているのです。このいのちを伝えてくれた私のいのちに繋がるご先祖さまに感謝しなければなりません。ご先祖さまというのは私の生命の根源です。
ご先祖さまに尊いいのちを頂いた。この尊いいのちを大切に生かさなかったら生きてきた甲斐がありません。
8月にあるお寺にお話を依頼されてまいりますと、お寺の住職が、参拝にこられた檀家の方々に小雑誌を施本されていましたので、私も一冊頂きました。本の名前は「ぶっつきょうスクール」、ゆったりとおおらかにというタイトルがついています。その中に「お盆のひとときに想う」と題して次のように書いてあります。
八十歳まで生きるとして
その中身を見てみると
二十七年間は眠っています。
十年間は食事をしています。
トイレを五年間使います。
合わせると四十二年間・・・
健康を保つための
大切な四十二年間です。
八十年からこの期間を差し引くと
三十八年間
目をパッチリ開いて
何かができるのは三十八年間
この三十八年間は あなたにとって
短いですか?長いですか?
いずれにしても
まあ ゆったりと大らかに
いきていきましょう
こうした時の移ろいの中で、ご先祖から頂いた尊いいのちを大切に、悔いのない生き方をしていきましょう。
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こころのはなし(第144回)2009/8/11
高速道路の料金が千円になったことで、割安感から今年のお盆は高速道路を使った故郷への帰省が多くなるようです。昔からこのお盆の時期は民族の大移動といって、どの交通機関も混雑いたします。特にお盆の期間中高速道路の大渋滞が予想され、すでに渋滞が30キロ〜50キロになるだろうといわれています。
やはり、お盆は日本人にとって忘れることが出来ない仏教行事、ご先祖への供養の期間です。東京では7月にお盆を向え、関西地方では月遅れの8月盆が多いようです。お盆はご先祖や今は亡き人々の御霊を13日にお迎えして、15日にお送りをする。(16日という所もあります。)
お盆とは梵語のウラバンナを中国に伝えた時、ウラバンナの音を漢字に当てはめ盂蘭盆(うらぼん)としました。ウラバンナとは倒懸(とうけん)と訳されます。倒懸とは逆さにつらされた苦しみをいいます。逆さ吊りはもっとも苦しい状態を指し、人間の苦しみを救うという意味があります。
このお盆の行事は「盂蘭盆経」に基づいています。釈尊の弟子の摩訶目?連(まかもっけんれん){ふつう目連尊者といいます。}
は父母の恩に報いたいと、超能力で世間を見ると、母は餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。目連尊者はなんとかして母を救いたいと釈尊に尋ねました。
釈尊は目連尊者に、雨期の3ケ月間お寺で修行している僧たちが、修行の終わる7月15日がちょうど反省の日となっている。この日に修行僧に布施供養すれば母親の苦しみを救うことが出来るだろうと教えられました。
目連尊者は教えの如くに修行僧に数々の供養の品を布施すると、その功徳によって目連尊者の母は餓鬼道から救われたという
教えにもとづくのです。
最初に少し触れましたが、7月13日に夕方の迎え火に始まり、16日の送り火に終わります。祖先の霊を自宅に向え、父母の恩を謝し、種々の供物(季節の野菜、果物等)をお供えしてお経をあげ、冥福を祈って倒懸の苦しみから逃れられるように祈るのです。
またお供えに13日は迎え団子といって、あんのついた団子をお供えし、15日には送り団子といって、白の団子をお供えする風習があります。
このお盆の行事は、インドから中国を経て飛鳥時代に日本に入ってきました。わが国では推古天皇の14年(606年)飛鳥の法隆寺で行なわれたのが初めで、聖武天皇の天平5年(733年)から宮中の仏事となりました。
このお盆で大切なことは、祖先から頂いたこのいのちあることに感謝し、そのご恩に報い、その祖先に感謝する日です。ここで
ご先祖さまの命をさかのぼってみましょう。
私たちの親は二人、祖父母は四人、曽祖父は八人、四代前は十六人、十代前の親は千二十四人人、二十代前になると百四万八千五百七十六人、二十代前というと約五百年前のこと、さらに四十代さかのぼると一兆九百九十五億一千百六十二万七千七百七十六人、平安時代紫式部が源氏物語を書いた時代です。
奈良の東大寺の大仏開眼供養の行われた天平勝宝四年(752)の頃までさかのぼると、三百兆人以上の親を私たち一人一人が持っていることになります。
この数を見ると、本当に私のいのちはご先祖から頂いた尊いいのちだということがわかります。そのご先祖の霊に感謝のまことを捧げるのがお盆なのです
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こころのはなし(第143回)2009/7/01
友人から電話を頂き植物の半夏生が間違っているとご指摘をいただきましたので訂正させていただきます。
新暦の7月2日から6日ごろを季語で「半夏生ず」といいます。このころは植物の「半夏生」が咲く頃です。半夏生はドクダミ科で半化粧とも書きます。水辺に生える多年草で、浅い池、沼の中にも生えます。7月になると白い葉を付けるから名づけられたといわれ、葉の半分が白いので片白草とも呼ばれています。
また、「からすびしゃく」を別名「半夏」といいます。また雀の柄杓、杓子草、へそくりと言います。全国の畑地雑草として知られる多年草で、球状の地下茎を持ち、漢方薬では球茎を半夏と呼んでいます。
讃岐では半夏生の時にウドンを食べる習慣がありますが、農家の人たちは、この日までには田植えを済ませ、どんな天候不順な年でも、このあとは田植えをしないという習慣がありました。「半夏生前なら半作取れる」という言い伝えは田植えが遅れても、半夏の前までであったら平年作の半分までは収穫できるという教えです。また半夏生の頃は竹の子・わらび、竹林に入ることを忌む習慣がありました。
半夏とはもともと仏教で、90日間行なわれる夏安居に中間で45日目をいいます。インドでは3ヶ月間雨期が続きます。その間インド各地に出かけ、伝道活動をしているお坊さんが祇園精舎に帰り、90日間の修行をするのです。これを夏安居といいます。
この雨期の時期に寺にもでって修行するのは、虫や、昆虫を踏み殺さないために一箇所に留まり、修行するのです。仏教の十善戒の中に不殺生があります。生きとし生けるいのちを損なわないというのが仏教徒の心得です。
さて今月の言葉は兵庫県出石にある東光寺の東井義雄さんの詩です。
78年も わたしの胸の中で 働き続けてくれた 心臓
夜も昼も 一日の休みもなく 一分の休みもなく
働き続けてくれた 心臓
二万八千四百七十日 一日の休みもなく
働き続けてくれた 心臓
六十八万三千二百八十時間 一時間の休みもなく
働き続けてくれた 心臓
四千九十九万六千八百分 一日の休みもなく
働き続けてくれた心臓
ろくに感謝もせず ろくにお礼も言わず ねぎらいもせず
いじめることだけしかしなかったために
きっと 疲れたのでしょう ありがとう ごくろうさま
もう 休息をとってもらっても
不平をいう資格はまったくない 私なのだが
倅がいまだに 意識が戻らないままでいる
どうか もうひとがんばり 私を支えておくれ
ありがとう すいません
南無阿弥陀佛
東井先生の息子さんは小学校に勤務していていて、子どもと一緒に走っていて、突然倒れてしまい156日まったく意識がありません。「一寸先は闇」ということばを、真っ先に思い出しました。こんな言葉がうまれてきたということの背後には、私の息子だけでなく、数知れない多くのこういう事実があり、こういうことに出合われた、数知れない多くの皆さんが、ため息のように、このことばをつぶやいてこられたということだと、気付かせていただきました。
交通事故で、かわいい女の子さんを亡くされた若いお母さんのおことばを思い出しました。
「朝、家を出たものが午後帰ってくる、それは当然のことだと思っていました。しかし、それは、ただごとでないことであったのです。それをあの子が、いのちがけで教えてくれたのです。それ以後、主人が出勤するときには、どんなに忙しくても、仕事の途中であっても、とんで行って見送ります。帰宅してくれたときにも、とんで行って迎えます。いのちがけで、人間の別れと出会いの大切さを教えてくれたあの子に申し訳ありませんから」という言葉でした。
気付いてみれば「人生無常」は仏さまの切実な教えでした。それを、上の空で聞き流し、形ばかりの見送りをしていた私を知らせていただきました。と述べています。一瞬一瞬を大切に生きる。それを忘れてはいけません。
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こころのはなし(第142回)2009/6/15
この頃日一日と新緑が初夏の太陽に照らされて緑をさらに濃くしています。
今よく売れている本は「間違えやすい漢字」という本だそうです。パソコンを使いだしてから漢字を覚えなくなってきました。
昔よく使われていた語で最近使わなくなったり、忘れ去られてしまった語を死語といいますが、その一つに「大和撫子」があります。この大和撫子の意味を辞書で調べてみますと、その中に次のように出ています。
「日本女性の美称、また日本女性の清楚な美しさをほめていう語」とあります。ところがこれは女性に見られる理想の姿を具体的に述べているものではありません。女性の理想像について表現するのは大変難しいと思います。ですから広辞苑も「日本女性の美称」とだけの表現に留まっているのだと思います。例えば男らしい男の定義というのも難しいですね。男とは力が強い男が男らしい男だと言ってもいや違う。やさしさのある男が本当の男だと言う人がいるかもしれません。 大和撫子は女性の美称、美称とは物や人を飾ったりほめたりする呼び方です。
大和撫子とはどのような女性を想像しますかと仮に質問したとしましょう。男性から見る大和撫子のイメージと、女性がイメージする大和撫子とは千差万別に見方のあります。
しかし、辞書にあるように大和撫子は日本女性の清楚な美しさを褒めて言う語だとするならば、まずおしとやかな女性の姿を想像するだろうと思います。
昔から「男性は強く、女性はおしとやか」な姿を想像するのは私だけでしょうか。ところが最近はこれが逆転したようだと産経新聞に出ていました。
「男の子は強く、女の子はやさしく」などといわれた時代ははるか昔のこと、暴力を振るうのは男性と考えられていたのは昔のことと前置きして、「東京都が男性から相談を受けた家庭内暴力の四割が女性からの暴力で、暴言など精神的暴力が九割のほか殴る、蹴るなどの肉体的暴力も一割もあった」とかかれていました。
この記事を読みますと、女性が強くなったのか、男性が弱くなったのか本当の所はわかりませんが、何れにしろ女性が負けていない時代になったということでしょうか。それとも慎み深い女性が少なくなってきたからなのでしょうか。
いまみな平等だということを言います。また男女平等ともいいます。平等とは何でも同じということではありません。この平等ということは辞書で見ますと。「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」とあります。しかし、ここで注意しなければいけないのは、私たちはいのちという基盤に立って考える時、等しくいのちは平等なのです。このいのちはかけがえのない命です。このいのちの大切さを本当に自覚した時、他への思いやりとなり、他のいのちを大切に出来るのです。そして真に平等の心が生まれるのです。
さて、話は変わりますが、日本時間の六月八日、アメリカ・テキサス州フォトワースで開かれた第十三回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで全盲の日本人ピアニスト。辻井伸行さん二十歳が優勝いたしました。一九六二年にスタートしたこのコンクールで日本人が優勝したのは初めてということです。障害を克服しての快挙に内外の注目を集めそうだと報道されています。
辻井さんは東京生まれ、生まれつきの全盲で、伸行さんの才能にはじめて気づいたのは二歳三ヶ月の時、家にあったおもちゃのピアノで母親が口ずさんだ「ジングルベル」をすらすらと弾く姿に、「この子は音楽が好きなんだな」と気づき、それからピアノの練習に力を入れ、七歳で全日本盲学生音楽コンクール第一位、十歳でリサイタルデビューと才能を早くから開花させ、今回の優勝となったのです。しかし、天才少年といわれていましたが、その蔭には並々ならぬたゆまぬ努力と苦労があったことと思います。
さて、このコンクールで全盲の辻井伸行さんの審査はとても難しかったのではと想像します。ともすると聴衆も全盲だという意識を持って聞くだろうし、審査員も全盲だからという見方で実力を審査するかもしれません。しかし、審査員から非公式に「全盲というハンディキャプはまったく考慮していない。純粋に演奏が評価された」と打ち明けられたといいます。
純粋に音楽の実力だけで審査して評価する。なかなかできることではあるません。ともすると差別があったり、健常者と違って障害があるからということで、ハンディを付けて評価しても不思議ではありません。今回のコンクールの審査員はほんとうに平等ということの意味を理解しているのだと気づかされ、平等ということはいのちの尊厳の上に成り立つのだと再認識をいたしました。
最近平等の意味を履き違える方がおおいように思われます。もう一度平等ということについて真剣に考えてみようではありませんか。
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こころのはなし(第141回)2009/5/01
この頃よく心の講話が書けない事が多くなりました。4月は本当に多忙な月でした。と申しますのは、香川大学の讃岐学という講座が開講されました。この講座は香川の魅力を県外から来た学生らにも伝えるため、香川大学は今年から「讃岐学入門」を開講し一般公開されました。学生や一般から応募した聴講生ら約300人が耳を傾けてくださいました。
この講師をお引き受けはしたのですが、一番難しいのが講義時間が90分で、その中で空海大師の足跡たどり、また四国八十八ヶ所霊場について述べなければいけませんので、その資料集めに四苦八苦いたしました。空海大師の足跡はわからないことが多々ありますが、しかし空海研究は今までに相当進んでいますし、多くの学術論文が発表されています。
その意味では空海大師の講義はさほど苦労とは思いませんが、難しいのが四国八十八ヶ所についてです。第一に八十八ヶ所の何を要点として話をしたらよいかということです。八十八の寺院の説明ではいけませんし、あくまで讃岐学という学問の範疇としてとらえなければなりません。信用に足りる資料がないといけません。しかし、そのような学術資料がほとんどありません。
そこで私は八十八ヶ所の開創について調べ始めました。先ず八十八ヶ所の寺院の伝えられている縁起(社寺などの由来または霊験などの伝説)について調べました。
すると多くの寺院は、空海大師以前、行基菩薩や役小角(えんのこずか)の創建であったり、空鉢(くうはつ)上人の開基とされるところもあります。ですから空海大師以前に既に四国には多くの寺があり、後に空海大師が巡錫されたという事になります。もちろん空海大師が開基のお寺もございます。ですから四国八十八ヶ所の寺院はすべてが空海大師が建てられたのではないのです。
では八十八ヶ所は誰が選定したのかこれも定かではありません。しかし、山林修行をされていた19歳から30歳頃までに奈良の吉野山、葛城山系の山々、四国阿波(徳島県)の太龍寺、土佐(高知県)の室戸崎、伊予(愛媛県)石槌山などを修行の場所としておられたので、その時現在の八十八ヶ所との繋がりがあったとも考えられます。
何れにしろ四国八十八ヵ所は1,200年余りの歴史の中で、人々の大師信仰によって支えられ、そこには四国の風土、人情によって育まれた世界でも類を見ない全長1200キロの霊場の道が今も続いているのです。
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こころのはなし(第140回)2009/4.1
桜の開花宣言が出されてから寒気が入り、毎日寒い日が続いています。お寺の庭に銅像の弘法大師像がまつられています。その大師像のすぐ後ろに一本の染井吉野があり、この桜が満開になると
あたかも桜の天蓋をお大師さまにさし掛けたようになります。
その弘法大師像のまわりには四国八十八ヶ所のお砂踏みの霊場が造られています。お四国八十八を巡拝できない人ためにミニ八十八ヶ所が造ってあります。このような霊場を「うつし霊場」といいます。このようなうつし霊場は各地にあります。身近なところに小豆島八十八ヶ所・讃岐一国八十八ヶ所・摂津国八十八ヶ所(現在の大阪府一部は兵庫県に属する)・福岡県篠栗町にある篠栗八十八ヶ所、このほかお寺の裏山に八十八ヶ所の札所の本尊の石造を安置してミニ八十八ヶ所を開いている所は数え切れないほどあります。
四国八十八ヶ所は行程1,200`ありますし、札所は平坦な所ばかりではありません。難所といわれる所もございます。一生に一度は巡拝したいと思ってもなかなかお参りが出来ません。第一健康でなければ駄目ですし、経済的なこともあるでしょう。このような色々な問題をクリヤーしてはじめて巡拝が実現するのです。ですから、身近な所に八十八ヶ所があればお大師さまの遺跡を巡る同じ功徳がいただけるのです。
さて、この四国八十八ヶ所の開祖は誰なのでしょうか。一説には空海和尚の弟子で高雄山の真済(しんぜい)・嵯峨天皇の皇子真如親王説などがあります。また八十八ヶ所霊場の起源はというと、
今は昔ではじまる今昔物語に「今は昔、仏の道を行ける僧三人、伴いて四国の辺路(へじ)というは伊予・阿波・土佐の海辺の廻なり、」とあり、辺路は僻地という意味で、空海生誕以前に四国の海辺の道が四国をぐるっと廻っていたようです。空海和尚も海辺の道を歩かれて当然修行されていたことでしょう。今昔物語は12世紀後半の作と考えられていますから、その頃には四国を廻る路がすでにあり、平安時代末にはすでに僧侶が巡拝していたらしいのです。そして巡拝が一般化するのは江戸時代元禄の頃からです。
この四国辺路が四国遍路になったのかについては定かではなありません。何れにしろ、現在も多くの人々が大師信仰をもととして、救いを求めて桜咲く四国路を歩いておられます。
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こころのはなし(第139回)20093.15
昨日まで本当によく雨が降り薄ら寒い日が続きましたが、それが今日は見事な天気でした。今日15日に檀家さんの法事で木田郡三木町に参りました。ところが今まで何度ともなく訪れた所なのに道を間違え悪戦苦闘いたしました。春の陽気と車内の暖房が相まって頭のコンピューターがトラブルを起こしたのかも知れません。
法事の帰りに四国八十八ヶ所の87番札所、長尾寺の近くを通りますと、手甲、脚半、白衣(びゃくい)をつけたお遍路さんが結願札所の大窪寺に向けて歩いておられました。
昔から四国の春はお遍路さんの鈴の音からやってくるといわれます。菜の花の咲き乱れる路を菅笠をかぶり、お遍路さんが一歩一歩歩くたびに腰につけた鈴がチリンチリンとのどかな音色を立てる。ほんとうに平和な一時です。四国ならではの風景です。
詩人の坂村真民さんの「仏国四国」という詩を紹介させていただきます。
仏国四国
春
四国連山の雪が消えると
一時に大地は
菜の花ざかりとなる
タンポポもはなをつけ
道ゆく人の足をとめ
桃の花もほほえみかけて
働く人の心をよろこばせる
そして春の鳥が
諸仏諸菩薩の徳をたたえて
人々に呼びかける
四国は仏島である
世界にもない
仏の島である八十八の霊場が
大きな数珠のように
この四つの国々を
めぐりつないでいる
南無大師
遍照金剛と
信仰あつい人々の声が
春のいぶきと共に
野に山に
海沿いの路に
ひびきわたる
そして数々の霊験が
石にきざまれ
一木一草にしみわたって
大師の徳を
今に伝えている
あゝ
日本の庶民の信仰が
いまもなお素朴にして
美しくたくましく
その人々を幸せにし
その人々を豊かにし
生きる喜びと
安らぎとを与えている
大空に白い雲が流れ
大地には白衣(びゃくい)の人々が続き
四国はおへんろの鈴の音に
春の幕があけられていく
皆さんも一度四国を訪れてみませんか。坂村貧民先生がおっしゃてるように四国は仏の島です。自己を見つめ一心に歩く、必ずお大師さまのお加護をいただけます
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こころのはなし(第138回)20093.01
3月の言葉は釈尊の説かれた法句経の186番にある言葉です。
貨幣の雨を降らしても、もろもろの欲望が満足することはない。
「欲望は愉悦短くして、思うようにならないものだ」と賢いものは知っている。愉悦とは心からの楽しみを言います。
昨年は色々な偽装事件や詐欺事件がつづきました。食品の偽装事件、大阪の吉兆の事件、中国産のウナギの産地偽装事件、また米粉加工会社「三笠フーズ」が農薬に汚染されたベトナム産の米を食用として売却しました。1キロ当たり18円で仕入れ、110円で卸し、利ざやを稼ぐあくどいやり方です。
最近では大阪府警に「54歳の女相場師」が逮捕されました。株取り引きによる高配当を語り、関西中国、四国の150人から総額15億円を集め詐欺容疑で逮捕されました。だます方も悪いけれど、だまされる方も甘い話に乗ってだまされる。それは欲があるからだましたり、だまされたりするのです。これを仏教では貪欲といいます。貪欲の貧は貧しいと書きます。貪欲とは貪りの心です。貪りとは物をほしがる気持ちです。これを貪欲といいます。今の世の中は欲望の突出した時代です。自分の欲望を満たす為には何でもするという時代になってしまいました。
其の顕著な犯罪が「振り込め詐欺」です。2008年中に発生した振り込め詐欺は認知件数240,481件、被害総額が275億9千4百98円、検挙数が4,400件です。
詐欺の「さ詐」とは偽るとか、あざむくという意味です。「ぎ欺」とはやはりあざむく、だますという意味です。其の手口はオレオレ詐欺、架空請求詐欺、融資保証金詐欺、還付金等の詐欺などがあり、色々な手口を使って金を取ろうと虎視眈々と狙っています。
これが欲望の世界です。物や金では決して自分の欲望のすべてを満たすことは出来ないのことを知っておくべきです。
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こころのはなし(第136回)2009.2.01
一度心の講話を休むと、何か力が抜けたように次の原稿を起こす気になれない。何か書かなければと思うのですが、一向にその気になれません。こんな状態が一月続きました。まさにスランプの状態でした。
その間、お寺の裏庭に蕗の頭が顔をだし、梅の花が開花し始めました。「梅は寒苦を経て清らかに花を咲かせる」の言葉どうり、梅は寒さを耐えて花を咲かせています。この梅に学び怠けないように頑張ろうと思います。
さて、高松市内に高松市歴史資料館があります、主として高松の縄文時代から今日に到るまでの歴史的価値の高い資料が展示されています。またその中に文豪菊池寛資料室もあります。
この歴史資料館に友の会があり、また郷土の歴史や文化を学ぶ讃岐村塾という会があります。隔月ぐらいに資料館に集まり研鑽を深めます。去る2月24日には県外研修で播磨の古寺と日本三奇を訪ねて、市職員の方々のお世話で朝8時に高松市役所をバスにて出発いたしました。
10時40分には姫路市の北に位置する書写山ロープウエイ山麓に到着、ロープウエイ山上駅に到着し、そこから歩いて円教寺に参拝をいたしました。この日は寒波の襲来で散策をしている時に雪花がちらついていましたが、その寒さを忘れるぐらいの素晴らしいお寺でした。この書写山円教寺は西国三十三観音の二十七番札所です。天台宗の寺院で西の比叡山といわれているようにまさに壮大な寺院です。966年に性空上人によって開かれ、鎮護国家の道場でありました。鎮護国家とは仏法によって国家を鎮定し守護することです。
この寺の中心をなしているのが大講堂で花山法皇によって創建され、桃山時代初期のもので鎌倉時代の特徴も残し、重要文化財に指定されています。見上げるほどの建造物で、その荘厳さに圧倒されました。また西国二十七番の札所になっている摩尼殿は、京都の清水寺の舞台と同じような建物で、お堂の前にせり出しをつくり、これもまた素晴らしい建物です。
私はこのような壮大な伽藍配置の立派な堂等を拝見するといつも思うのですが、これらの建造物をどのようにし維持管理しているのか、さぞご苦労が多いのだろうと拝察します。
私の寺は円教寺の半分にもおよばない寺ですが、それでも雨漏りの心配、シロアリの心配、火災の心配、盗難の心配等々、実に苦労が多いのです。参拝や観光で寺院を訪れる時はやもするとそのような部分を見落としがちです。摩尼殿の裏側に回ると壁板に無数の落書きがありました。本当に心無い人のために大切な文化財が傷つけられる、まことに残念なことです。落書きをする人は人の目を盗んで文化財や建造物に落書きをします。いくら管理者が注意しても注意しきれません。他のものを傷つけ損なわないことは十善戒の不殺生を犯したことになるのです。
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こころのはなし(第135回)2009.1.01
明けましておめでとうございます。
昨年12月15日の心の講話は、このホームページを開設した2003年1月以来始めて休んでしまいました。
昨年の12月は事の外多忙な日々が続き、気になりながらもついに原稿を書くことが出来ませんでした。読者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びいたします。
さて、皆様はこのお正月をどのようにお迎えになりましたでしょうか。お寺では31日の大晦日は毎年恒例の除夜の鐘で始まります。12時10分前から般若心経を唱えて、住職がはじめの梵鐘を撞き、今年5歳になる孫が住職に続いて撞きました。後は参拝者の方々が3回づつ撞きますが、今年も長蛇の列が出来て寒風吹く中をじっと待ち続けておられました。鐘を撞き終わりますと本堂に参拝されて善哉の接待を受けます。今年は本堂でゆっくりされる方が多く、朝方まで本堂内はいっぱいでした。
昨年アメリカのサブプライム問題に端を発して100年に一度といわれる経済危機を迎えました。一度に世界の経済がおかしくなり、日本が誇る自動車産業、特にトヨタ自動車は最高の利益を上げながら、この経済危機に直面するやいっぺんに赤字に転落し、多くの派遣社員を解雇しなければならなくなりました。職を失った人々は厳しい正月を迎えたのではないかと心を痛めます。
私は経済の仕組みはわかりませんが、つくづく浮き沈みの世の中だということは実感します。
釈尊が説かれた法句経の189番に次のような言葉があります。
こは 安穏の
よりどころにあらず
こは すぐれたる
よりどころにあらず
かかるところに
帰依するとも
すべてのくるしみを
のがれることなし
とあります。いま自分がいるこの会社は何の心配もない、また我が家も暖かい家族もいるし、何の不安もない、唯一の安らぎの場所であると思っているかもしれない。しかし、どのような所でも
優れた安住の場所ではないのです。人間には必ず苦しみがあります。苦しみとは思うようにならないこと、意の如くならないこと。これを不如意といいます。自分の思うようにならないところから起こる感情が苦しみなのです。
私たちはどのような豪邸に住まおうと、どんな豪華な食事をしようと満足する心がなかったら、苦しみはついてまわるのです。
逆にどんな最悪の生活環境にあっても、食事が粗末であっても感謝のこころがあるとそのことが苦しみとはならないのです。しかし、現実に職を追われ、住む家を無くした人は現実に苦しみを受けています。そのような時にいくら心を説いてもお腹は満腹になりませんし、暖かい寝床に着けるわけではありません。先ずは目前の苦しみを取り除かなければなりません。それには多くの人々の援助が必要です。
いま自分がそうした人たちに何が出来るのだろうか。また世界中でいま苦しんでいる人たちに自分は何が出来るのだろうか。いま必要なのは決断と実行力ではないでしょうか。
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